【城名】
小高城
【小高城の説明】
小高城は福島県南相馬市小高区にあった平山城です。
城の築城時期は南北朝時代とされており、この頃から相馬氏が代々治める地となります。

戦国時代の当主「相馬義胤」は各方面の敵と攻防を繰り返しながら領地を死守していました。小高城は丘下の小高川の流れを天然の水堀としており、川の反対側は水田になっていました。このため四方を天然の堀により囲まれていました。

元々は南の岩城氏への備えからこの地に城を構えたが、伊達政宗との抗争が激しくなると義胤は本拠地を中村城へと移しました。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発すると義胤は「佐竹義宣」と行動を共にし、旗幟を鮮明にしなかった。

このことから戦後、徳川家康から領地没収・家名改易とされるが伊達政宗の必死の訴えにより所領を安堵されました。江戸時代に入るとそのまま中村藩を立藩し幕末まで存続しました。

現在の城跡には「相馬小高神社」が建っており相馬氏の面影を残しています。
川と水田に囲まれた、相馬氏の本城
小高城は、小高川の流れを天然の堀にした平山城です。川の対岸は一面の水田で、四方を水に囲まれる形になっていました。石垣も高い山もありませんが、湿地と川そのものが守りになる城です。南北朝のころから相馬氏がこの地を治め、長くここを本拠としました。堀や曲輪の見方は城の基本用語にまとめています。
南の岩城、北の伊達
相馬氏は、南の岩城氏に備えてこの地に城を構えました。ところが戦国末期になると、北から伊達政宗の圧力が強まります。相馬義胤は前線に近い小高では支えきれないと考え、本拠を北の中村城へ移しました。城を動かすことは、どちらを主な敵と見るかを変えることでもあります。相馬中村城に本拠が移ったあとも、小高は相馬領の要の一つでした。
改易を救ったのは、敵だった政宗
関ヶ原のとき、義胤は佐竹義宣と歩調を合わせ、どちらに付くかをはっきりさせませんでした。そのため戦後、徳川家康から所領没収・家名断絶を言い渡されます。ところが、この処分を覆すために動いたのが、長年の敵だった伊達政宗でした。政宗の口添えで相馬氏は所領を安堵され、中村藩として幕末まで続きます。戦場で殺し合った相手が、家を残す側に回ったことになります。
現地はいま
城跡には相馬小高神社が建っています。ここは相馬野馬追の「小高郷」にあたる地で、祭りの季節には騎馬の行列が町を進みます。城の遺構は少ないものの、川と水田に囲まれた地形は、いまも歩けば分かります。
【小高城・場所・アクセス】
〒979-2102 福島県南相馬市小高区
【小高城地図】
- 相馬中村城 … 慶長十六年、相馬利胤がこの小高城から移った新しい本拠

