新府城:織田信長の甲州征伐で武田勝頼滅亡の城 新府城【お城特集 日本の歴史】

新府城/アクセス・場所・地図 織田信長の甲州征伐で武田勝頼滅亡の城 新府城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
新府城

【新府城の説明】
新府城は山梨県韮崎市中田町にあった武田勝頼の城である。
もともと甲斐守護の武田家は石和に本拠地をおいていたが、武田信虎の時代に「躑躅ヶ崎館」に拠点を移し各地の家臣達を館周辺に住まわせており信虎の跡を継いだ信玄もこれを継承していた。

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天正3年(1575年)、5月21日の長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)において武田勝頼は織田・徳川連合軍に大敗したため自国の経営の強化を図った。その一端として新しい城「新府城」の普請が行われた。

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天正9年(1581年)から築城が開始され、同年の年末には勝頼が躑躅ヶ崎館から新府城へ住居を移している。天正10年(1582年)、武田家の親類筋にあたる「木曾義昌」が西信濃で離反し、勝頼はこれを鎮圧すべく諏訪まで進出するが、織田・徳川連合軍に阻まれて撤退。

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織田軍はさらに甲斐国へ進軍し、勝頼は「新府城」を捨て「小山田信茂」の岩殿城へ移るために自ら城に火をかけ移動を開始する。しかし、勝頼が岩殿城へ向かう途中で信茂の謀反にあい、天目山にて一族郎党自刃して果てた。これにて武田家は滅亡する。

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武田家の旧領の大部分は信長家臣の「川尻秀隆」に与えられ、秀隆は甲斐国経営を岩窪館にて行った。同年6月、明智光秀が主君である織田信長を「本能寺の変」で自刃に追い込み、織田家あっての秀隆も混乱に乗じて殺害されてしまう。その後、甲斐・信濃は徳川家康が支配することになる。

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その後、豊臣秀吉が天下を統一すると甲斐の中心は甲府城へと移り新府城はその役目を終え廃城となる。現在は「新府城跡」として国の史跡指定を受けて整備されている。

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【新府城・場所・アクセス】
〒407-0262 山梨県韮崎市中田町中條

【新府城地図】



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