郡上八幡城:戦国期は遠藤慶隆が城主であり幕末時は青山家の居城 郡上八幡城【日本の歴史 お城特集】


【城名】
郡上八幡城

【城の説明】
永禄2年(1559年)八幡山の上に遠藤盛数が砦を築き、これが郡上八幡城の起源となる。
その後嫡男の「遠藤慶隆」が城主となるが織田信孝の傘下に属していたため羽柴秀吉によって追放された。

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関ヶ原の戦いの功績により再び慶隆が城主となるが、江戸期を通じて様々な城主が入れ替わり江戸末期には「青山家」が城主として明治維新を迎えている。

大政奉還後の会津戦争では国元は新政府軍に与し、江戸詰の藩士からは「郡上藩凌霜隊」を組織し旧幕府軍として会津戦争へ出兵している。藩の存続をかけての二股行為は厳しい小藩の定めなのでしょうか。

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郡上藩凌霜隊は会津籠城戦にも最後まで参戦し降伏・開城後は故郷の郡上八幡へ護送され禁固刑や入牢させられた。

現在の郡上八幡城は1933年(昭和8年)模擬天守として再建され、全国的にも珍しい木造で造られた。内部は歴史資料館などとして利用されている。小規模な天守だがそこから眺める景色や風景はとても美しいものがある。

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【郡上八幡城・所在地・アクセス】
〒501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平






【郡上八幡城地図】




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