- 猿飛佐助は、真田幸村(信繁)に仕えたとされる真田十勇士の筆頭格の忍者です。甲賀流の忍術を使い、木から木へ飛び移る身軽さで知られます
- 佐助を世に広めたのは、大正3年(1914)に出た講談本「立川文庫」の『猿飛佐助』です。信濃の郷士の子として生まれ、山で猿と遊んで育ち、戸沢白雲斎に忍術を学んだという筋書きが大ヒットしました
- 同じ時代の史料に猿飛佐助の名はなく、物語の中で生まれた人物と考えられています。名前や人物像は、『西遊記』の孫悟空になぞらえたものともいわれ、モデルとなった実在の人物がいたとする説にも裏付けはありません
- 岩本照さん主演のドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』の佐助は、主を持たずに生きてきた一匹狼の忍で、師の白雲斎(唐沢寿明さん)の言葉に導かれて九度山の幸村のもとへ向かいます
10月23日(金)から始まるドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』で、主人公の猿飛佐助を演じるのはSnow Manの岩本照さんです。忍者といえば真っ先に名前が挙がるほど有名な猿飛佐助ですが、どこで生まれ、誰に忍術を習い、どんな最期を迎えたことになっているのか、そして本当にいた人物なのかとなると、意外と知られていません。この記事では、物語の中の佐助の生涯と、佐助が生まれた背景をたどります。
猿飛佐助とは ─ 真田十勇士の筆頭格の忍者
猿飛佐助は、真田幸村(実名は信繁)に仕えたとされる真田十勇士の一人で、十勇士の中でも筆頭格の忍者です。甲賀流の忍術の使い手で、木から木へと飛び移る身軽さや、姿を消したり分身したりする術で敵をなやませます。伊賀流の霧隠才蔵とは、張り合いながらも力を合わせる好敵手として描かれることが多く、二人は十勇士の中でも特に人気のある組み合わせです(真田十勇士とは ─ 猿飛佐助・霧隠才蔵ら10人は実在した?)。

物語の中の佐助の生涯
佐助の人物像を形づくったのは、大正3年(1914)に出た講談本「立川文庫」の第四十編『猿飛佐助』です。その中で語られる佐助の生涯をまとめると、次のようになります。
| 項目 | 立川文庫などの伝承での佐助 |
|---|---|
| 生まれ | 信濃の鳥居峠のふもとに住む郷士・鷲尾佐太夫の子 |
| 育ち | 山で猿と遊んで育ち、木から木へ飛び移る身軽さを身につける |
| 師匠 | 甲賀流の忍術の達人・戸沢白雲斎 |
| 流派 | 甲賀流(伊賀流の霧隠才蔵と対になる) |
| 主君 | 十五歳で真田幸村の家来となる |
| 活躍 | 三好清海入道らと諸国をめぐって徳川方の動きを探り、忍術で敵をなやませる |
| 最期 | 大坂夏の陣で討死したとされる(作品によって異なる) |
信濃の山中で猿と遊んで育った少年が、たまたま通りかかった甲賀流の達人・戸沢白雲斎に素質を見込まれ、山にこもって修行を積み、忍術の奥義を授けられる ─ この筋書きが、のちの忍者ものの原型になりました。修行を終えた佐助は十五歳で幸村の家来となり、豪傑の三好清海入道と連れ立って諸国をめぐり、徳川方の動きを探ります(真田十勇士は誰に仕えたのか)。
猿飛佐助は実在したのか
結論からいうと、猿飛佐助が実在したことを示す同じ時代の史料は見つかっていません。佐助の名が広く知られるようになったのは明治の終わりから大正にかけてで、講釈師の二代目玉田玉秀斎たちが書いた立川文庫の中で、人気の主人公に育っていきました。『猿飛佐助』の大当たりは大正時代の忍術ブームを呼び、子どもたちのあいだで忍者ごっこがはやるほどでした。
「猿飛」という名前は、山で猿と育ち、猿のように木々を飛び移る姿からつけられたもので、中国の『西遊記』の孫悟空になぞらえたともいわれます。立川文庫の十勇士は、幸村を三蔵法師に、佐助を孫悟空に見立てた物語だったと考えられているのです。
物語の佐助の最期
立川文庫など多くの物語では、佐助は主君の幸村とともに大坂の陣を戦い、慶長20年(1615)の夏の陣で討死したことになっています。もっとも、作品によっては生き延びて姿を消したり、幸村を落ちのびさせたりと、結末はさまざまです。史実の信繁は、夏の陣で家康の本陣に迫ったのち、安居神社のあたりで最期を迎えたと伝わります(真田幸村(信繁)とは何者か/大坂の陣をわかりやすく解説)。

その後の猿飛佐助 ─ 小説・漫画・映画へ
立川文庫で人気者になった佐助は、その後も時代ごとに姿を変えて描かれてきました。戦後には、柴田錬三郎の小説で大人向けの物語として描き直され、漫画では杉浦茂の『猿飛佐助』や白土三平の『サスケ』など、忍者ものの代表作が生まれます。映画やテレビドラマでもくり返し主人公となり、現代の忍者漫画の登場人物に名前が受け継がれるなど、猿飛佐助は「忍者」という存在そのものを象徴する名前になりました。
ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』の佐助
岩本照さんが演じるドラマの佐助は、主を持たずに盗みを重ねて生きてきた一匹狼の忍です。自らを「東国一の空飛ぶ忍」と名乗るほど跳躍力に優れ、型にとらわれない戦い方をしますが、組織や命令を嫌う一方で、弱い者へのやさしさも持っています。第1話では、師の白雲斎(唐沢寿明さん)と五年ぶりに再会したところで悲劇が起こり、白雲斎が残した「九度山へ向かえ」という言葉を胸に、佐助は真田幸村(安藤政信さん)のもとへ向かいます(九度山とは ─ 幸村が14年を過ごした高野山のふもとの里)。
立川文庫の佐助が、師の白雲斎に見いだされ、十五歳で幸村の家来になったのにくらべると、ドラマの佐助は「主を持たない忍」から始まり、幸村と出会って「守るために生きる忍」へ変わっていくという筋立てです。伝承の佐助とどこが同じで、どこが違うのかを見くらべながら観ると、ドラマがいっそう楽しめるはずです。
よくある疑問
Q. 猿飛佐助は実在しましたか?
A. 同じ時代の史料に名前は見つかっておらず、大正時代の講談本「立川文庫」で人気になった物語の人物と考えられています。
Q. 猿飛佐助の師匠は誰ですか?
A. 立川文庫などの物語では、甲賀流の忍術の達人・戸沢白雲斎です。ドラマでは、唐沢寿明さんが白雲斎を演じます。
Q. 猿飛佐助は甲賀流ですか、伊賀流ですか?
A. 甲賀流とされます。同じ十勇士の霧隠才蔵は伊賀流で、二人は好敵手として描かれることが多いです。
Q. 猿飛佐助はどんな最期を迎えたのですか?
A. 多くの物語では、大坂夏の陣で主君の幸村とともに戦い、討死したことになっています。ただし作品によって結末は異なります。
Q. ドラマで猿飛佐助を演じるのは誰ですか?
A. Snow Manの岩本照さんです。主を持たない一匹狼の忍として描かれます。
まとめ
猿飛佐助は、真田幸村に仕えたとされる真田十勇士の筆頭格の忍者で、大正時代の立川文庫が生んだ物語の主人公です。山で猿と育ち、戸沢白雲斎に甲賀流の忍術を学び、幸村のために諸国をめぐって大坂の陣で戦う ─ その姿は実在の人物ではありませんが、百年以上にわたって描き直され、忍者そのものを象徴する存在になりました。岩本照さんが演じる新しい佐助が、この長い系譜にどんな一ページを加えるのか、楽しみです。
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