真田十勇士とは|10人は実在した? 岩本照が演じる猿飛佐助・中川大志が演じる霧隠才蔵の正体と、十勇士を生んだ立川文庫 ─ ドラマ『真田十勇士』放送前に史実で解説

六つの銭の紋の赤い旗のもと、山城の曲輪から谷を見下ろす甲冑姿の武将の一族の後ろ姿
この記事のポイント
  • 真田十勇士は、真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の勇士です。猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・海野六郎・筧十蔵・根津甚八・望月六郎・由利鎌之助の10人を指します
  • 10人の武勇伝は、明治の終わりから大正にかけて出た講談本「立川文庫」が作り上げたもので、史実ではありません。大正3年(1914)の『猿飛佐助』が大当たりしたことで、十勇士の形ができあがりました
  • ただし、いくつかの名前は江戸時代の軍記物『真田三代記』などにすでに見え、海野・望月・根津は真田家と同じ信濃の滋野一族の名字です。まったくの空想ではなく、「それらしい名前」を土台にした創作といえます
  • 実在の信繁は、関ヶ原のあと紀伊の九度山で十四年を過ごし、大坂の陣で討死しました。岩本照さん主演のドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』は、この九度山から物語が始まります

10月23日(金)よる11時15分から、テレビ朝日系でドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』が始まります。Snow Manの岩本照さんが猿飛佐助を、中川大志さんが霧隠才蔵を演じ、主君の真田幸村は安藤政信さんが演じます。猿飛佐助や霧隠才蔵の名前は聞いたことがあっても、十勇士とは誰と誰なのか、本当にいたのかとなると、はっきり答えられる人は意外と少ないのではないでしょうか。この記事では放送前の予習として、十勇士10人の顔ぶれと、彼らがどこから生まれたのかを史実の側からたどります。

真田氏本城跡
真田氏本城跡(長野県上田市真田町)。十勇士の主君・真田家は、この真田郷から身を起こしました
目次

真田十勇士とは ─ 幸村に仕えたとされる10人の勇士

真田十勇士とは、豊臣方の武将・真田幸村(実名は信繁)に仕え、大坂の陣で徳川家康を苦しめたと語られる10人の家臣のことです。忍術の猿飛佐助と霧隠才蔵、怪力の三好清海入道と三好伊三入道の兄弟、鎖鎌の由利鎌之助、鉄砲の筧十蔵と、それぞれ得意な技を持った豪傑がそろい、主君の幸村を助けて活躍します。明治から昭和にかけて講談や少年向けの読み物、映画で繰り返し描かれ、戦後もテレビの人形劇や漫画、小説、舞台、映画と、時代ごとに新しい姿で語り継がれてきました。

十勇士10人の一覧と、ドラマの配役

名前 伝承での姿 ドラマで演じる人
猿飛佐助 甲賀流の忍者。戸沢白雲斎に忍術を学んだとされる、十勇士の筆頭格 岩本照
霧隠才蔵 伊賀流の忍者。佐助と並ぶ忍術の使い手 中川大志
三好清海入道 怪力の大入道。伊三入道の兄とされる 今井竜太郎(役名は三好清海)
三好伊三入道 清海入道の弟で、兄に劣らぬ豪傑 武井壮(役名は三好伊佐)
穴山小助 幸村のそば近くに仕え、影武者をつとめたと語られる 浜野謙太
海野六郎 幸村の側近として仕えた古参の家臣 袴田吉彦
筧十蔵 鉄砲の名手 ジョエル・ディカーソン
根津甚八 大坂夏の陣で幸村の影武者として討たれたとする話がある 金田哲
望月六郎 火薬や火術に通じていたとされる家臣 牧野公昭
由利鎌之助 鎖鎌や槍の使い手。もとは野武士とされる 伊原六花

人物の設定は作品ごとにかなり違い、影武者になるのが穴山小助なのか根津甚八なのかも物語によって変わります。上の「伝承での姿」は、よく知られた形をまとめたものです。なお、ドラマには幸村の嫡男・真田大助(城桧吏さん)も登場しますが、大助は幸村の子として実在した人物で、ふつうは十勇士には数えません。

十勇士は実在したのか ─ 武勇伝は「立川文庫」の創作

結論からいうと、十勇士として描かれる10人の活躍は史実ではありません。彼らの物語をつくったのは、明治44年(1911)ごろから大正14年(1925)ごろにかけて大阪の立川文明堂から出た、手のひらほどの小さな講談本「立川文庫」です。旅まわりの講釈師だった二代目玉田玉秀斎とその家族らが書き手となり、二百数十冊が出されましたが、なかでも大正3年(1914)に出た『猿飛佐助』が爆発的に売れ、これが十勇士のもとになりました。

立川文庫の十勇士は、江戸時代からあった真田の軍記物に、中国の『西遊記』を重ね合わせた発想から生まれたといわれます。三蔵法師にあたるのが幸村で、孫悟空が猿飛佐助、猪八戒が三好清海入道、沙悟浄が霧隠才蔵という見立てで、主君を守って旅をし、妖術や怪力で敵を打ち破る痛快さが、子どもから大人までを夢中にさせました。猿飛佐助の「猿飛」という名前にも、孫悟空の面影を見ることができます。

▽ よく語られる話
猿飛佐助は甲賀の忍者として実在し、真田幸村に仕えて大坂の陣で活躍した。
▼ 史実ではこうです
信繁と同じ時代の史料に、猿飛佐助や霧隠才蔵の名前は見つかっていません。二人は立川文庫で人気者になった人物で、物語の中で生まれたと考えられています。モデルになった実在の忍びがいたとする説もいくつかありますが、どれも裏付けはありません。

名前はどこから来たのか ─ 『真田三代記』と信濃の名族

とはいえ、10人の名前がすべて明治・大正に考え出されたわけではありません。由利鎌之助や三好清海入道、三好伊三入道、根津甚八といった名前は、江戸時代の中ごろに書かれたとみられる軍記物『真田三代記』などにすでに登場しています。ただし、『真田三代記』は信繁の死から百年近くたってから書かれた読み物で、ここに名前が出てくることが実在の証拠になるわけではありません。

名字にも手がかりがあります。海野・望月・根津は、いずれも信濃国の名族・滋野一族の家で、「滋野三家」と呼ばれました。真田家もこの滋野一族の海野氏の流れをくむとされており、真田の家来らしい名字として選ばれたと考えられます(真田家とは:幸隆・昌幸・信之・信繁(幸村)の三代六人)。三好清海入道と伊三入道の兄弟には、畿内で力をふるった三好三人衆の一人・三好政康や、その一族の三好政勝(為三)の名を下敷きにしたとする説があり、穴山小助の「穴山」も、武田家の重臣だった穴山氏を思わせる名字です。真田家はもともと武田家に仕えていたので、武田ゆかりの名字が家来の中にあってもおかしくない、という「それらしさ」が物語を支えていたのでしょう。

史実の信繁(幸村)は九度山で何をしていたのか

では、実際の信繁のまわりはどうだったのでしょうか。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、信繁は父の昌幸とともに豊臣方(西軍)について上田城で徳川秀忠の大軍を足止めしましたが、西軍が敗れたため、兄の信之らの助命嘆願で命を助けられ、紀伊国の九度山(いまの和歌山県九度山町)に流されました。高野山のふもとでの暮らしには、少ない数の家臣と妻子が付き従ったとされ、父の昌幸は慶長16年(1611)にこの地で亡くなっています(真田昌幸とは|「表裏比興の者」と呼ばれた知将)。

上田城跡
上田城跡(長野県上田市)。関ヶ原の戦いのとき、昌幸と信繁がこの城で徳川秀忠の大軍を足止めしました

慶長19年(1614)、豊臣家と徳川家の対立が決定的になると、信繁は豊臣秀頼の招きに応じて九度山を抜け出し、大坂城に入りました。冬の陣では城の南に出城「真田丸」を築いて徳川方を退け、翌年の夏の陣では家康の本陣に突入して、家康をあと一歩まで追い詰めましたが、慶長20年(1615)5月7日に討死しています(大坂の陣(冬・夏)をわかりやすく解説)。嫡男の大助(幸昌)も大坂城にとどまり、翌日、秀頼とともに亡くなりました。

安居神社
安居神社(大阪市天王寺区)。真田信繁が最期を迎えた地と伝わります

敵味方から「日本一の兵」とたたえられたこの最期が、江戸時代の人びとの心をとらえ、軍記物や講談で信繁の活躍がふくらんでいきます。「真田幸村」という名前そのものも、本人が名乗った記録はなく、こうした物語の中で広まった呼び名です(真田幸村(信繁)とは何者か)。負けると分かっていた戦いで家康に迫った武将のそばには、きっと命知らずの家来たちがいたはずだ ─ 十勇士は、そうした人びとの思いが形になった存在といえるかもしれません。

ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』と伝承の違い

ドラマの舞台は、関ヶ原の戦いから14年後、九度山で暮らす幸村のもとに忍たちが集まり、豊臣討伐を宣言した家康に立ち向かっていくという筋立てです。史実でいえば、慶長19年(1614)の大坂冬の陣の直前にあたります。史実と創作を大胆に織り交ぜるとうたっているとおり、十勇士の設定には伝承と違うところがいくつもあります。

  • 由利鎌之助(伊原六花さん)は、十勇士でただ一人の女性の忍として、男装した鎖鎌の名手に描かれます。伝承の鎌之助は男性の豪傑です
  • 筧十蔵(ジョエル・ディカーソンさん)は、鉄砲の名手という点は伝承どおりですが、イギリス人という設定になっています
  • 三好兄弟は、伝承では清海入道が兄、伊三入道が弟ですが、ドラマでは三好伊佐(武井壮さん)が兄、清海(今井竜太郎さん)がその弟で、薬や毒を使う忍として描かれます
  • 佐助の師として、唐沢寿明さんが白雲斎を演じます。立川文庫で佐助に甲賀流の忍術を授けた戸沢白雲斎にあたる人物です

放送はテレビ朝日系で毎週金曜よる11時15分から(一部地域を除く)で、Netflixでの世界配信も予定されています。物語が進むにつれて、大坂城や真田丸、夏の陣の戦いがどう描かれるのか、史実と見くらべながら楽しんでみてください。

よくある疑問

Q. 真田十勇士は実在しましたか?
A. 十勇士としての活躍は、立川文庫などの講談がつくった創作です。いくつかの名前は江戸時代の軍記物にも見えますが、同じ時代の史料で信繁の家臣だったと確かめられる人物はいません。

Q. 真田十勇士の10人は誰ですか?
A. 猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・海野六郎・筧十蔵・根津甚八・望月六郎・由利鎌之助の10人です。

Q. 十勇士はいつ、誰が考えたのですか?
A. 明治の終わりから大正にかけて出た講談本「立川文庫」で形づくられました。書き手は講釈師の二代目玉田玉秀斎とその家族らで、大正3年(1914)の『猿飛佐助』の大ヒットが十勇士の原型を生みました。

Q. 真田大助は十勇士に入りますか?
A. 大助は幸村の嫡男として実在した人物で、ふつうは十勇士に数えません。大坂城落城のとき、秀頼とともに亡くなりました。

Q. ドラマで猿飛佐助を演じるのは誰ですか?
A. Snow Manの岩本照さんです。霧隠才蔵は中川大志さん、真田幸村は安藤政信さんが演じます。

まとめ

真田十勇士は、真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の勇士で、その武勇伝は大正時代の立川文庫が生んだ創作です。それでも、『真田三代記』に残る名前や、真田家と同じ信濃の名族の名字を土台にしているところに、「本当にいたかもしれない」と思わせる工夫がありました。九度山で十四年を耐え、大坂の陣で家康に迫った信繁の実像を知っておくと、ドラマの十勇士たちの戦いも、いっそう味わい深く見えてくるはずです。

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