長宗我部元親は、土佐の小さな家に生まれ、四国のほぼ全域に手を伸ばし、そして豊臣秀吉に降った。子の代には国そのものを失っている。この特集では、その一代と一族を追った記事をまとめました。どこから読んでも、隣の話へつながるように組んであります。
元親という人
呼び名が変わった一日から、土佐一国がそろうまで。
- 長宗我部元親はなぜ「姫若子(ひめわこ)」から「鬼若子(おにわこ)」になったのか:槍の持ち方を知らなかった二十二歳の初陣
- 長宗我部元親はどうやって土佐を統一したのか:本山・安芸・一条と戦った十五年
- 長宗我部元親の妻は誰だったのか:石谷家の娘と、明智光秀の重臣につながっていた縁組
- 一領具足とは:田の畦に具足を置いた兵と、土佐に二百六十年残った身分
一族と、名前のこと
弟たちが国を分けて支え、一文字違いの名字がなぜ生まれたのか。
- 長宗我部兄弟とは何者か:元親を支えた吉良親貞と香宗我部親泰、四国を分けて攻めた三人
- 長宗我部と香宗我部は何が違うのか:一文字違いの名字と、「宗我部」という土佐の古い地名
- 豊臣兄弟と長宗我部兄弟:同じ形の兄弟が、なぜ違う場所に着いたのか
四国攻め ── 秀長が来た夏
六月に渡り、八月に終わった二か月の戦い。
- 豊臣兄弟!第36回「姫若子と鬼若子」史実解説|四国攻めはなぜ二か月で終わったのか
- 豊臣秀長はなぜ四国攻めの総大将に選ばれたのか:兄が渡らなかった夏と、十万の指揮
- なぜ長宗我部元親は海で秀吉を止められなかったのか:八百艘の船団と、瀬戸内を持たなかった男
- 十河存保とは何者か:阿波と讃岐を失い、秀吉を頼り、戸次川で長宗我部信親と同じ日に倒れた男
- 四国平定・九州平定をわかりやすく解説!総大将・豊臣秀長が輝いた天下統一の総仕上げ
そして、国を失うまで
戸次川で嫡男を失い、浦戸で国を失い、六条河原へ。
長宗我部をめぐる城
土佐の本拠から、四国攻めの戦場まで。
- 岡豊城跡:長宗我部元親の本拠と、発掘で現れた礎石建物跡
- 浦戸城跡:長宗我部の天守があった城と、一領具足が渡すまいとした最後の場所
- 白地城跡:長宗我部元親が四国統一の根拠地にした「四国の十字路」と、大西氏二百五十年の城
- 一宮城(阿波):青石で積まれた石垣と竪堀が残る山城、秀長の本隊が取りついた城
- 勝瑞城跡・勝瑞城館跡:土塁を持たなかった三好氏の館と、庭園から出た茶道具
- 川島城跡(吉野川市):讒言で失われた重臣と、阿波三好氏が崩れていく二十年
- 仏殿城跡(川之江城・四国中央市):四国の十字路に置かれた城と、主が替わり続けた理由
- 湯築城跡(道後公園):石垣も天守もない河野氏の城と、発掘で現れた家臣の屋敷
- 来島城跡(今治市):潮が守った島の城と、村上水軍が一枚岩でなかったこと
大河ドラマ『豊臣兄弟!』特集へ
長宗我部元親は、大河ドラマ『豊臣兄弟!』では四国攻めの相手として描かれます。豊臣側から見た同じ出来事はこちらの特集にまとめています。
