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関東・甲信
花輪城跡(流山市):小金城の高城氏が置いた支城と、北条の他国衆という立場
流山市の江戸川沿いに、花輪城址公園という小さな公園があります。戦国のころ、ここには小金城を本拠とする高城氏の支城が置かれていました。天守も石垣もなく、いまも見えるのは台地の縁と草地だけですが、発掘では空堀と犬走りの跡が確かめられ、陶磁器... -
歴史ブログ
最盛期は全国の1/3を領した織田信長の石高は何万石?
■ 日本の歴史ブログ 織田信長の最盛期は全国の1/3を領し推定石高は約780万石? 日本全国で覇を競った戦国武将たちでしたが、実際に信長のように天下統一を目指した大名は数少ない。多くの戦国大名がそれぞれの領土を死守し、地方を経営することしか考えて... -
日本100名城
安土城跡(近江八幡市):織田信長の天下布武の城 大手道と石垣、三年で焼けた天主
安土城とは 安土城は、織田信長が天下統一の拠点として築いた城である。琵琶湖に突き出た安土山(標高約199メートル)に、天正四年(1576)から築かれた。 信長が住んだのはわずか三年ほどで、天正十年(1582)の本能寺の変の直後に天主と本丸を焼失。天正... -
関東・甲信
千葉城跡(亥鼻城):頼朝を迎えた千葉常胤の地と、一族が分かれていくまで
千葉城(ちばじょう)は、亥鼻城(いのはなじょう)とも呼ばれる千葉氏の城館跡です。源頼朝の挙兵に応じた千葉常胤の本拠がこの亥鼻の丘にあったと伝えられ、千葉という地名と市の名の由来にもなりました。丘の上には天守を模した建物が建っていますが、... -
近畿
有岡城跡(伊丹市):小田原より早く町を囲った惣構と、官兵衛が入れられた土牢
有岡城は伊丹の市街地のただなかに石垣を残しています。荒木村重が織田信長に背いて一年を籠もり、説得に訪れた黒田官兵衛が土牢に閉じ込められた城として知られますが、城そのものの特徴はもうひとつ別のところにあります。城下町を丸ごと堀と土塁で囲む... -
近畿
上月城跡(佐用町):三国境の城と、救援が来なかった尼子再興軍の最後
上月城は播磨・備前・美作の三国が接するあたりに築かれた山城です。出雲街道を押さえる位置にあり、織田と毛利が中国地方でぶつかったとき、まっさきに奪い合われました。城に入った尼子勝久と山中鹿介が毛利の大軍に囲まれ、救援に向かった羽柴秀吉が引... -
九州・沖縄
宇土城跡(宇土市):小西行長が築いた城と、熊本城の宇土櫓をめぐる説
宇土城(うとじょう)は、小西行長が築いた肥後南部の城です。中世からあった宇土古城の東の丘に、三重の天守を持つ近世の城として建てられました。関ヶ原の戦いで行長が敗れると、加藤清正がこの城を攻め落とし、肥後一国の大名になります。清正は宇土城... -
中国
岩国城跡:完成から七年で壊された南蛮造りの天守と、幕末まで藩と認められなかった吉川家
岩国城は、関ヶ原の戦いのあと吉川広家が横山の山上に築いた城です。ところが完成からわずか七年で、一国一城令によって天守も櫓も取り壊されてしまいました。城としての寿命が七年しかなかった例は、全国を見てもそう多くありません。しかもこの地を治め... -
日本100名城
小諸城跡(懐古園):城下町より低い「穴城」と、千曲川の断崖が守った縄張
小諸城は、城下町より低いところに本丸がある城です。城は見下ろすもの、という常識がここでは逆になっていて、大手門をくぐって城内へ入ると、道はどんどん下っていきます。だから穴城と呼ばれてきました。低いということは攻められやすいはずですが、こ... -
関東・甲信
一郷山城:山上の天守は平成に建てられた ― 平井城を支えた上野の支城
高崎市吉井町の山上に、白壁の天守が建っています。一郷山城と呼ばれるこの建物は、戦国時代の城が残ったものではなく、平成のはじめに展望施設として建てられた模擬天守です。もとの一郷山城は関東管領上杉氏の支城のひとつと伝えられ、武田信玄の西上野... -
近畿
伏見桃山城:あの天守は昭和の建物 ― 秀吉の最後の城と、鳥居元忠の十三日
伏見の丘に建つ大小二つの天守は、豊臣秀吉の伏見城を復元したものではありません。昭和三十九年に遊園地の施設として建てられた模擬天守です。本物の伏見城の中心は、いま明治天皇陵になっていて立ち入ることができません。それでもこの場所が特別なのは... -
北海道・東北
多賀城跡:陸奥国府と鎮守府が置かれた城と、芭蕉が涙を落とした多賀城碑
この記事のポイント多賀城は戦国の城ではなく、奈良時代に置かれた国の役所であり、軍事の司令部でした。陸奥国府と鎮守府が同じ場所にあった、全国でも例の少ない城です。境内に立つ多賀城碑は、日本三古碑の一つに数えられます。松尾芭蕉が『おくのほそ... -
近畿
御着城跡(姫路市):官兵衛が仕えた小寺氏の本城と、政職が毛利に賭けた理由
御着城(ごちゃくじょう)は、播磨の国衆・小寺氏の居城です。黒田官兵衛が仕えた主君、小寺政職がこの城にいました。茶臼山城、天川城とも呼ばれ、堀と土塁で城下までかこいこむ大きな構えを持っていたと伝わります。城跡は姫路城から東へ数キロ、今は公... -
歴史ブログ
関ヶ原の戦い(後編):徳川家康と石田三成 戦国史上東西大合戦
【合戦名】 関ヶ原の戦い(後編) 【説明】 さて、徳川家康が関ヶ原に到着したのは九月十四日であった。そして付近の赤坂へ進み、岡山という小高い山の頂上を本陣とした。西軍(反家康軍)は関ヶ原の西方にあたる小関村に陣を取り、東軍(家康軍)と対峙す... -
歴史ブログ
関ヶ原の戦い(前編):徳川家康と石田三成 戦国史上東西大合戦
【合戦名】 関ヶ原の戦い(前編) 【説明】 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いは知る人ぞ知る、東西を大きく二分して「岐阜県不破郡関ケ原町」で争われた世紀の大合戦です。豊臣秀吉の死後、徳川家康は五大老・ご奉行の合議制を形骸化して実質的な政権運営者... -
歴史ブログ
山内一豊:苦労の末に土佐一国の城主となった戦国武将
【名前】 山内一豊 【説明】 『苦労の末に土佐一国の城主となった戦国武将』 山内一豊はNHKの大河ドラマ「功名が辻」で一躍有名になった戦国武将です。 父が織田信長と同族の岩倉織田家に仕えていたが、信長に滅ぼされてしまい一族は離散する。 その後、一... -
歴史ブログ
川中島の戦い(後編):上杉謙信と武田信玄の大合戦 啄木鳥の戦法(後編)
【合戦名】 川中島の戦い 【説明】 戦国史上あまりにも有名な川中島の戦い “後編” をご紹介させて頂きます。前編では武田軍に悟られないように上杉謙信が妻女山を降りてきたところで終わりました。 十日朝、武田本隊の目の前に突如上杉軍一万三千が陣取っ... -
歴史ブログ
川中島の戦い(前編):上杉謙信と武田信玄 戦国史に残る大合戦
【合戦名】 川中島の戦い 【説明】 甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の覇権を争って激突した合戦が川中島の戦いです。合計五回の戦いが行われており、中でも永禄四年(1561年)九月の第四次は激烈な戦闘となった。 上杉軍は八月十六日、五千の兵を... -
信長公記(現代文)
信長公記:犬山城の落城(実質的な尾張統一)
■ 日本の歴史 信長公記:犬山城の落城(実質的な尾張統一) 本日は「信長公記」から、信長が実質的に尾張を統一した「犬山城落城」の行(くだり)をご紹介致します。 永禄5年(1562年)6月下旬、信長公は織田信清殿(信長の従兄弟)の小口城(現愛知県小口町... -
信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(後編)
■ 日本の歴史 信長公記:桶狭間の戦い(後編) 織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」の桶狭間の戦いの行(くだり)後編をご紹介いたします。 全軍は義元本陣めがけ黒い玉となって駆け出した。この様子を目にした今川勢は、ひとたまりもなく...
