戦国時代– category –
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信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(中編)
■ 日本の歴史 信長公記:桶狭間の戦い(中編) 織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」の桶狭間の戦いの行(くだり)をご紹介いたします。 時刻は19日の正午になろうとしていた。今川義元は鷲津砦・丸根砦の陥落を聞いて機嫌がよく、陣中で謡... -
信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(前編)
■ 日本の歴史ガイド 信長公記:桶狭間の戦い(前編) 日本の歴史ガイドでは織田信長の家臣「太田牛一」が書き残した「信長公記」を少しずつご紹介して行きたいと思っております。 永禄3(1560年)年5月17日、今川義元の先陣は沓掛に参着し、翌日大高城へ兵糧... -
信長公記(現代文)
信長公記:桶狭間の戦い(徳川家康 “松平元康” の動向)
■ 日本の歴史 信長公記:桶狭間の戦い(徳川家康 “松平元康” の動向) 桶狭間の戦いの時、徳川家康(当時は松平元康)は今川義元の軍に属していた。義元は永禄元年(1558年)に嫡男・氏真に家督を譲渡、自らは新たに支配下に置いた三河の統治と尾張の攻略... -
戦国時代
米沢城:伊達政宗が誕生した城で関ヶ原の戦い後は直江兼続の居城となった米沢城
米沢城(松が岬公園)とは 山形県米沢市にある米沢城は、いまは松が岬公園として整備され、本丸跡に上杉神社が鎮座する城跡である。天守を持たない平城ながら、本丸をめぐる水堀と土塁が往時の姿をよく残している。独眼竜・伊達政宗が生まれた城として、ま... -
戦国時代
上山城(月岡城):かみのやま温泉のシンボル 沢庵和尚と土岐頼行、伊達と最上の争奪
上山城とは 山形県上山市元城内にある上山城は、月岡の高みに築かれた平山城で、「月岡城」の別名をもつ。出羽と奥州を結ぶ街道の要にあたり、南から伸びる伊達氏と北の最上氏がぶつかる最前線として、戦国期には何度も主が入れ替わった。江戸時代には二万... -
戦国時代
大洲城:古写真とひな型模型が支えた木造復元天守と、江戸のまま残る台所櫓・高欄櫓
大洲城の天守は、鉄筋コンクリートではありません。木で組まれた四重四階の天守で、戦後に建てられた木造復元天守としては最大級のものです。しかも「だいたいこんな形だったろう」という想像で建てたのではなく、解体前の古写真と、江戸時代につくられた... -
戦国時代
仙台城(青葉城):伊達政宗が青葉山に築いた六十二万石の城と、天守を建てなかった理由
宮城県仙台市。仙台城—青葉城の名でも呼ばれるこの城には、六十二万石の大藩の居城でありながら、天守がない。 建てて焼けたのではない。最初から建てられなかったのである。 本丸を支える高石垣。この城でいちばん雄弁なのは、建物ではなく石垣である 青... -
戦国時代
観音寺城跡:安土城より二十年早く石垣を積んだ千の曲輪と、六角父子が戦わずに捨てた理由
観音寺城は、近江の守護・六角氏が繖山(きぬがさやま)の山ぜんたいに築いた巨大な山城です。曲輪の数は千を超えるといわれ、規模でいえば日本でも最大級。しかも安土城より二十年ほど早い時期から石垣を多用していて、山城に石を積むという発想の先駆け... -
戦国時代
小谷城跡(長浜市):浅井長政とお市の方の城 秀吉に切断された北近江の山城
小谷城とは 小谷城は、北近江を三代にわたって支配した浅井氏の居城である。琵琶湖の北東、小谷山(標高約495メートル)の尾根に曲輪を連ねた大規模な山城で、戦国期屈指の堅城として知られた。 天正元年(1573)、織田信長に攻められて落城。城主・浅井長... -
戦国時代
一乗谷朝倉氏遺跡(一乗谷城):朝倉義景の城下町と復原町並 信長に焼かれた「北の京」
一乗谷城とは 一乗谷城は、越前を約百年にわたって支配した朝倉氏の本拠である。福井市街から足羽川をさかのぼった一乗谷という細長い谷に、城主の館、家臣の屋敷、寺院、町屋がぎっしりと並び、背後の一乗城山(標高約473メートル)には詰城の山城が構え... -
戦国時代
今治城:堀に海水を引きこんだ日本三大水城と、藤堂高虎が砂地に築くために考えた犬走り
今治城の堀の水は、海水です。瀬戸内の海から直接引きこんでいるので潮の干満で水位が上下し、堀にはクロダイやボラが泳いでいます。築いたのは藤堂高虎。城内に船着き場を設けて軍船が直接出入りできるようにし、海に面した側だけを高石垣で固めました。... -
戦国時代
備中高松城:羽柴秀吉による大規模な水攻め 清水宗治の居城 備中高松城
【城名】 備中高松城 【城の説明】 備中高松城は「羽柴秀吉」から水攻めの攻撃を受けたことで有名な城である。世に言う「高松城水攻め」である。高松城は現在の岡山県岡山市北区にあった城で、当時は城の周りが泥や沼などの湿地帯で難攻不落と言われた城で... -
戦国時代
躑躅ヶ崎館跡(武田神社):信玄が天守も高石垣も持たなかった館と、背後に構えた要害山城
甲府市古府中町の躑躅ヶ崎館跡は、武田信虎がこの地に本拠を移してから、信玄・勝頼と三代およそ六十年にわたって甲斐の国を動かした場所です。天守もなければ高石垣もなく、土塁と堀に囲まれた方形の区画が並ぶだけの姿は、同じ日本100名城のなかでも異質... -
戦国時代
月山富田城跡(安来市):大内を退けた城が毛利に落ちた理由と、七曲りの登城路
月山富田城は出雲の尼子氏が本拠とした山城で、日本五大山城のひとつに数えられます。大内義隆の大軍を退けたことで難攻不落の名を得ましたが、二十年あまりのちに毛利元就の前に開城しました。落としたのは力攻めではなく、兵糧を断ち、内側を切り崩す戦... -
戦国時代
鳥取城跡:渇え殺しの前に米を買い占めた秀吉と、天球丸の丸い石垣
鳥取城は久松山の頂から麓まで、山城と近世城郭が一つの山に重なって残っている城跡です。羽柴秀吉の兵糧攻め、いわゆる渇え殺しの舞台として知られますが、城の見どころはそれだけではありません。山上には戦国の曲輪が、山下には池田氏が整えた石垣が並... -
戦国時代
平戸城:松浦鎮信が自ら焼いた城と、九十年後に山鹿素行の縄張で建て直された海の城
平戸城は、松浦(まつら)氏が平戸瀬戸を見下ろす岬に築いた城です。ただしこの城には、ほかにあまり例のない空白があります。最初に築かれた城は完成を目前にして、藩主自身の手で焼き払われてしまった。理由は徳川家への疑いを避けるためだったと伝えら... -
戦国時代
名古屋城:豊臣を囲うために豊臣恩顧の大名が積んだ城と、焼け残った三つの隅櫓
名古屋城は、徳川家康が大坂の豊臣家を囲いこむために築かせた城です。工事は天下普請で、加藤清正や福島正則といった、もとは豊臣に仕えた西国の大名たちが自腹で石を運びました。豊臣を抑えるための城を、豊臣恩顧の大名が築く。この構図そのものが、当... -
戦国時代
今帰仁城跡(なきじんぐすく):百曲がりと呼ばれる石垣と、尚巴志に滅ぼされた北山王の城
今帰仁城(なきじんぐすく)は、沖縄本島北部の本部半島にある大きなグスクです。琉球王国が生まれる前、島が三つに割れていた時代に北部を治めた北山王の居城で、外周はおよそ一・五キロ、標高百メートルほどの丘をまるごと石垣で囲いこんでいます。目を... -
戦国時代
大分府内城:海際に築かれた白雉城と、竹中半兵衛の従弟・竹中重利が整えた縄張
大分府内城は、大分川の河口に面した海際に築かれた城です。かつては三方を海と堀に囲まれ、白い櫓が水の上に浮かんで見えたことから白雉城(はくちじょう)とも呼ばれました。ここはもともと大友宗麟が本拠を置き、南蛮貿易で栄えた府内の町。大友氏が去... -
戦国時代
飫肥城跡:伊東氏と島津氏が八十年奪い合った城と、秀吉のもとで取り戻した伊東祐兵
飫肥城は、宮崎県日南市にある城です。この城がほかと違うのは、伊東氏と島津氏が八十年とも百年ともいわれる長さでこの一か所を奪い合い続けたこと。日本の城で、これほど長く同じ場所が争われた例はほとんどありません。しかも一度は伊東氏が日向を追わ...
