- 筧十蔵は、種子島(火縄銃)の名手として講談や立川文庫で活躍した真田十勇士の一人です
- 講談の十蔵は日本人で、イギリス人という設定はドラマのアレンジです
- ただし1614年ごろの日本には三浦按針などのイギリス人がいて、平戸にはイギリス商館もありました
ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』で、ジョエル・ディカーソンさんが演じるのが筧十蔵です。ドラマでは堺に住むイギリス人の鉄砲商人という意外な設定になっていますが、講談のもともとの筧十蔵はどんな人物で、江戸時代の初めの日本に本当にイギリス人はいたのでしょうか。ここでは、伝承の十蔵の姿と、ドラマの設定の背景にある史実を紹介します。
筧十蔵とは
筧十蔵は、真田幸村(信繁)に仕えたとされる真田十勇士の一人で、種子島、つまり火縄銃の名手として知られる人物です。講談や立川文庫では、鉄砲で遠くの敵を正確に撃ち抜く射撃の達人として描かれ、刀や槍で戦うほかの勇士たちとは違った役割を担っています。十勇士の物語は、明治の終わりから大正時代にかけて立川文庫が広めたもので、十蔵もその中で顔ぶれに定着しました。
筧十蔵は実在したのか
筧十蔵が実在したことを示す確かな史料は見つかっておらず、講談の中で生まれた架空の人物と考えられています。モデルについてもいくつかの説がありますが、はっきりしたことはわかっていません。十勇士それぞれの実在については真田十勇士とはで紹介しています。
江戸時代の初めの日本にイギリス人はいたのか
ドラマの十蔵はイギリス人という設定ですが、ドラマの舞台となる1614年ごろの日本に、イギリス人がいたこと自体は史実です。慶長5年(1600年)、オランダの船リーフデ号が豊後に漂着し、その航海士だったイギリス人のウィリアム・アダムスが家康に重く用いられて、のちに三浦按針と名乗りました。さらに慶長18年(1613年)には、イギリス東インド会社の船が平戸に来航して商館が開かれ、イギリスとの貿易が始まっています。
そして大坂冬の陣では、家康がイギリスやオランダから大砲を買い入れ、大坂城への砲撃に使ったことも知られています。鉄砲や大砲を扱うヨーロッパの商人が日本にいたという時代背景を思うと、「イギリス人の鉄砲商人」という設定も、まったくの絵空事ではないことがわかります。
なぜ「堺の鉄砲商人」なのか
ドラマの十蔵が堺に住んでいるという設定にも、史実の裏づけがあります。天文12年(1543年)ごろに種子島に鉄砲が伝わると、和泉国の堺は近江国の国友とならぶ鉄砲の一大産地となり、多くの鉄砲鍛冶や商人が集まりました。南蛮貿易の窓口でもあった堺は、鉄砲と火薬を求める戦国大名にとって欠かせない町で、鉄砲の名手と堺の商人という組み合わせは、十蔵らしいアレンジといえます。
ドラマ『真田十勇士』の筧十蔵(ジョエル・ディカーソン)
ドラマの筧十蔵は、堺に住むイギリス人の鉄砲商人で、遠距離攻撃の切り札として十勇士に加わります。鉄砲の名手という講談以来の特徴はそのままに、国籍を大胆に変えた設定は、Netflixで190以上の国と地域に配信される本作らしい工夫です。ほかの配役は『真田十勇士』キャスト・相関図一覧にまとめています。
よくある疑問
Q. 筧十蔵はイギリス人だったのですか?
A. 講談の筧十蔵は日本人の鉄砲の名手で、イギリス人という設定はドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』のアレンジです。
Q. 筧十蔵は実在の人物ですか?
A. 実在を示す確かな史料はなく、架空の人物と考えられています。
Q. 1614年ごろの日本にイギリス人はいましたか?
A. いました。家康に仕えた三浦按針(ウィリアム・アダムス)がよく知られ、1613年には平戸にイギリス商館も開かれています。
まとめ
筧十蔵は、種子島の名手として講談や立川文庫で活躍した真田十勇士の一人で、実在は確かめられていません。ドラマではイギリス人の鉄砲商人に生まれ変わりましたが、三浦按針や平戸のイギリス商館、大坂の陣で使われた西洋の大砲など、その設定の背景には確かな史実があります。
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