- 由利鎌之助は、鎖鎌と槍の名手として講談や立川文庫で活躍した真田十勇士の一人です
- もともとの由利鎌之助は男性の豪傑で、女性として描かれるのはドラマ『真田十勇士』のアレンジです
- 実在を示す確かな史料はなく、架空の人物と考えられています
ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』で、伊原六花さんが演じるのが由利鎌之助です。十勇士でただ一人の女忍者で、男装した鎖鎌の名手という設定ですが、講談や立川文庫に登場するもともとの由利鎌之助は、どんな人物だったのでしょうか。ここでは、伝承の中の鎌之助の姿と、実在したのかどうか、そしてドラマのアレンジのポイントを紹介します。
由利鎌之助とは
由利鎌之助は、真田幸村(信繁)に仕えたとされる真田十勇士の一人で、鎖鎌の名手として知られる人物です。名前に「鎌」の字が入っているとおり、鎖鎌を自在に操る豪傑として描かれ、槍の腕前もすぐれていたとされています。十勇士の物語は、江戸時代の軍記物や講談をもとに、明治の終わりから大正時代にかけて大阪の立川文庫が少年向けの読み物として広め、そこで顔ぶれがほぼ定まりました。鎌之助もその中で、猿飛佐助や霧隠才蔵とともに人気を集めた一人です。
講談の由利鎌之助は男性だった
まず押さえておきたいのは、講談や立川文庫の由利鎌之助が、たくましい男性の豪傑として描かれてきたということです。物語では、もとは別の大名に仕えていた武芸者で、真田方と戦ったのち、幸村の人柄にひかれて家臣になったという筋立てで語られることが多く、敵として出会った相手が味方になるという、十勇士の物語らしい加わり方をしています。十勇士はもともと全員が男性の物語で、女性の鎌之助が登場するのは、今回のドラマならではの大胆なアレンジです。
由利鎌之助は実在したのか
由利鎌之助が実在したことを示す確かな史料は見つかっておらず、講談や読み物の中で生まれた架空の人物と考えられています。ただし「由利」は、出羽国の由利郡(いまの秋田県由利本荘市あたり)を本拠とした国衆の名としても知られる名字で、十勇士の多くが実在の武士の家の名を借りているのと同じように、こうした名字をもとに名づけられた可能性も指摘されています。十勇士10人がそれぞれ実在したのかどうかは、真田十勇士とはで一人ずつ紹介しています。
鎖鎌とはどんな武器か
鎖鎌は、草刈りなどに使う鎌の柄に、先に分銅をつけた長い鎖を結びつけた武器です。分銅を振り回して相手の刀や槍に鎖を巻きつけ、動きを封じたところへ鎌で斬りかかるという使い方をし、江戸時代には鎖鎌を教える流派も生まれました。間合いを自在に変えられる反面、扱いがむずかしい武器で、そうした特殊な武器の名手という点が、鎌之助のキャラクターを印象づけています。
ドラマ『真田十勇士』の由利鎌之助(伊原六花)
ドラマの由利鎌之助は、男装した鎖鎌の名手で、十勇士でただ一人の女忍者という設定です。戦場では冷たく、日常では穏やかで、理性と情、冷静と情熱を併せ持つ人物として描かれ、主人公の猿飛佐助(岩本照)が恋心を寄せる相手でもあります。その一方で、頬に負った傷の奥に心の傷を隠しているとされていて、その過去がどのように明かされるのかが、物語の見どころのひとつになりそうです。演じる伊原六花さんは、本格的なアクションにこの作品で初めて挑戦しています。ほかの配役は『真田十勇士』キャスト・相関図一覧にまとめています。
よくある疑問
Q. 由利鎌之助は女性ですか?
A. 講談や立川文庫の由利鎌之助は男性の豪傑です。女性として描かれるのは、ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』のアレンジです。
Q. 由利鎌之助は実在の人物ですか?
A. 実在を示す確かな史料はなく、講談や読み物の中で生まれた人物と考えられています。
Q. ドラマで由利鎌之助を演じるのは誰ですか?
A. 伊原六花さんです。
まとめ
由利鎌之助は、鎖鎌と槍の名手として講談や立川文庫で活躍した真田十勇士の一人で、もともとは男性の豪傑として描かれてきた人物です。実在は確かめられていませんが、ドラマでは男装の女忍者という新しい姿に生まれ変わり、佐助との関係や隠された過去が物語を動かしていきそうです。
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