福島正則とは|『豊臣兄弟!』松崎優輝が演じる秀吉の従弟、賤ヶ岳七本槍の筆頭 ─ 関ヶ原で家康についた理由と広島城改易

清洲城/アクセス・場所・地図 織田信長 躍進の城 美しい清洲城
この記事のポイント
  • 福島正則(ふくしま まさのり)は、永禄4年(1561)に尾張で生まれ、寛永元年(1624)に64歳で亡くなった武将です。幼名は市松
  • 母が秀吉の母・なか(大政所)の妹とされ、秀吉とは従兄弟の関係にあたります。幼いころから秀吉に仕えた「子飼い」の武将です
  • 賤ヶ岳の戦いで一番槍の手柄を立て、「賤ヶ岳の七本槍」の筆頭に数えられました。関ヶ原の戦いでは東軍につき、安芸広島約50万石の大名となります
  • 『豊臣兄弟!』では松崎優輝さんが演じています。第18回から、加藤清正(伊藤絃)とともに秀吉の子飼いとして登場しています
  • しかし元和5年(1619)、広島城を無断で修築したとして改易され、信濃の高井野で晩年を送りました

福島正則は、加藤清正と並ぶ秀吉子飼いの猛将として知られます。『豊臣兄弟!』では松崎優輝さんが演じ、加藤清正役の伊藤絃さんとともに第18回から登場しています。『豊臣兄弟!』第40回では、あさひが夫とともに逃げようとする場面に、秀長とともに現れるようです。この記事では、正則の生涯を、秀吉の身内としての出発から、関ヶ原、そして改易までたどります。

目次

秀吉の従弟 ─ 尾張の桶屋の子

正則は永禄4年(1561)、尾張の二ツ寺村(愛知県あま市)で生まれました。父は桶屋だったとも伝わります。母は秀吉の母・なか(大政所)の妹とされ、正則は秀吉の従弟にあたります。幼いころから秀吉のもとで育てられ、加藤清正らとともに「子飼い」の家臣として仕えました(大政所(なか)とは/木下一族一覧)。

賤ヶ岳の七本槍の筆頭

天正11年(1583)、秀吉が柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦いで、正則は一番槍の手柄を立てました。このとき活躍した若武者たちは「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれ、正則はその筆頭として、ほかの六人より多い五千石を与えられたとされます。

清洲城
正則がのちに城主となった清洲城(清洲城)

伊予から尾張清洲へ

天正15年(1587)、九州平定のあと、正則は伊予の今治で十一万石の大名となりました。文禄4年(1595)には、秀次事件のあと尾張清洲二十四万石に移ります。秀吉の故郷である尾張の要の城を任されたことは、正則が秀吉の身内として厚く信頼されていた証でした。

関ヶ原 ─ 三成と対立し、家康の側へ

秀吉の死後、正則は石田三成と激しく対立します。慶長4年(1599)には、清正らとともに三成を襲撃しようとした事件も起こしました。三成と正則・清正の不仲の背景については加藤清正・福島正則と石田三成はなぜ不仲だったのかで整理しています。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、正則は家康の東軍につき、先鋒として岐阜城を攻め落とし、本戦でも宇喜多秀家の軍と激しく戦いました。豊臣恩顧の大名の筆頭である正則が東軍についたことは、ほかの大名たちの去就にも大きな影響を与えたといわれます。戦後、正則は安芸・備後の約五十万石を与えられ、広島城主となりました。

▽ よく語られる話
福島正則は、豊臣家を裏切って家康についた。
▼ 史実ではこうです
正則は関ヶ原の戦いを「豊臣家のための戦い」ではなく「三成を除くための戦い」と考えていたとみられます。戦後も豊臣家への思いは強く、大坂の陣では江戸に留め置かれ、豊臣方に兵糧を送ったともいわれます。正則にとって、家康につくことと豊臣家を思うことは、必ずしも矛盾しなかったのです。

改易と晩年

元和5年(1619)、正則は台風で壊れた広島城を、幕府の許しを十分に得ないまま修築したとして、領地を取り上げられました。信濃の高井野(長野県高山村)に四万五千石で移され、寛永元年(1624)、64歳で亡くなります。豊臣家の天下を支えた猛将の、静かな最期でした。

『豊臣兄弟!』の福島正則

『豊臣兄弟!』で福島正則を演じるのは松崎優輝さんです。第40回では、秀吉の妹・あさひ(倉沢杏菜)が夫とともに夜の城から逃げようとしたとき、秀長とともに正則が現れる場面があると伝えられています。あさひから見れば、正則は母の妹の子、つまりいとこにあたります。身内の正則が、あさひの「逃げ道」をふさぐ役を担うのは、豊臣家の身内の結束と、その重さを感じさせる描き方です(旭姫(朝日姫)の生涯)。

▷ 大河ドラマではどう描かれるか(放送前の予想)
『豊臣兄弟!』第40回「あさひの輿入れ」は10月18日(日)放送予定です。ドラマでは、あさひが夫と逃げようとする場面に、秀長とともに正則が現れると伝えられています。放送後にこの枠を更新します。

よくある質問

Q. 『豊臣兄弟!』で福島正則を演じるのは誰ですか?
A. 松崎優輝さんです。加藤清正は伊藤絃さんが演じています。

Q. 福島正則は秀吉とどういう関係ですか?
A. 母が秀吉の母・なか(大政所)の妹とされ、秀吉の従弟にあたります。

Q. 「賤ヶ岳の七本槍」とは?
A. 天正11年の賤ヶ岳の戦いで活躍した七人の若武者のことで、正則はその筆頭とされます。

Q. 福島正則はなぜ改易されたのですか?
A. 元和5年(1619)、広島城を幕府の許しを十分に得ずに修築したとして改易されました。

まとめ

福島正則は、秀吉の従弟として幼いころから仕え、賤ヶ岳の七本槍の筆頭として名を上げた猛将でした。関ヶ原では三成と対立して家康につき、広島の大大名となりましたが、のちに改易されて信濃で生涯を終えます。豊臣家の身内として生まれ、豊臣と徳川のあいだで揺れた生涯でした。

参考:『寛政重修諸家譜』/福尾猛市郎・藤本篤『福島正則』中公新書

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