掃部山公園の名前の由来とは?日本を開国した井伊直弼【日本の歴史ブログ 史跡(銅像)】

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掃部山公園に建つ日本を開国した井伊直弼像

掃部山公園(かもんやまこうえん)にそびえ立つ「井伊直弼」の銅像です。掃部山公園は「横浜みなとみらい」を見下ろす高台にあり、桜の名所としても有名な公園である。

江戸時代までは海に面した高台で、不動山と呼ばれていた。この高台は明治初期、新橋駅-横浜駅の鉄道開通に携わったエドモンド・モレルなど外国人鉄道技師の官舎として利用されていた。

掃部山公園に建つ日本を開国した井伊直弼像【日本の歴史ブログ 史跡(銅像)】

明治17年(1884年)に旧彦根藩士が買い取って井伊家の所有地となり、明治42年(1909年)横浜開港50年記念に「井伊直弼」の銅像が建立された。除幕式には、井伊を開国の恩人とした銅像の建立に反発し、山県有朋、伊藤博文、松方正義、井上馨らは欠席した。

掃部山公園に建つ日本を開国した井伊直弼像【日本の歴史ブログ 史跡(銅像)】

銅像が建立以後、直弼の官位である掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と呼ばれるようになった。大正3年(1914年)井伊家より横浜市へ寄付され、掃部山公園として整備された。

現在も井伊直弼の鋭い眼差しが横浜みなとみらいを見下ろしている。

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【掃部山公園井伊直弼像・場所・アクセス】
〒220-0044 神奈川県横浜市西区紅葉ケ丘57






【掃部山公園井伊直弼像地図】





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