銅像– tag –
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戦国時代
前田利家像:織田信長の家臣にて荒子城主でもあった前田利家像(荒子駅前)
【史跡名】 前田利家像 【説明】 荒子城主は兄の「前田利久」が継ぐ予定であったが織田信長の小姓であり、お気に入りでもあった利家が兄をさしのけて荒子城主に任命された。 前田家としても権力者信長の意に反することは出来なかったのである。 その後、数... -
歴史ブログ
浅井長政 前編:北近江の名将にて織田信長の義弟 浅井長政
■ 日本の歴史ブログ 北近江の名将にて織田信長の義弟浅井長政 前編 浅井長政は戦国時代の武将であり大名である。呼称は「あざい ながまさ」と「あさい ながまさ」の2説ある。長政は北近江の戦国大名浅井家の3代目当主にして最後の当主でもある。居城は滋賀... -
戦国時代
浅井長政・お市像:小谷城の麓 河毛駅前に建つ浅井長政・お市像
【史跡名】 浅井長政・お市像 【説明】 ※写真は小谷城麓に建立された浅井長政と妻のお市像 【浅井長政・お市像・場所・アクセス】 〒529-0317 滋賀県長浜市湖北町山脇545 【浅井長政 お市像地図】 -
史跡・銅像
新井白石:幕政に関与した上総国久留里藩出身の儒学者 新井白石
【史跡名】 新井白石銅像 【説明】 新井白石は江戸時代中期の学者である。白石は上総国久留里藩土屋家で生まれ育ったが、久留里藩主「直樹」の代に「直樹」の奇行により久留里藩は改易されてしまう。 ※久留里城 その後、白石は佐倉藩堀田家に仕官するが堀... -
歴史ブログ
戦国武将の人情(武田信玄 編)
■ 日本の歴史ブログ 戦国武将の人情(武田信玄 編)【日本の歴史ブログ】 武田信玄には人の使い方についての温かい話が残っている。岩間という部下は臆病もので、合戦の度に泣きわめいて、「俺は死にたくない!戦には行きたくない!」というのだった。 ま... -
戦国時代
井伊直政:彦根駅前 徳川四天王の一人 井伊直政像
【史跡名】 徳川四天王の一人 井伊直政像 【史跡の説明】 井伊直政は徳川四天王の一人に数えられ、旧武田家の家臣団を多く抱えた「井伊の赤備え」で有名な武将である。 関ヶ原の戦いの戦功で近江(滋賀県)佐和山城主となり、後に城を彦根に移し現在の彦根... -
歴史ブログ
山内一豊:苦労の末に土佐一国の城主となった戦国武将
【名前】 山内一豊 【説明】 『苦労の末に土佐一国の城主となった戦国武将』 山内一豊はNHKの大河ドラマ「功名が辻」で一躍有名になった戦国武将です。 父が織田信長と同族の岩倉織田家に仕えていたが、信長に滅ぼされてしまい一族は離散する。 その後、一... -
史跡・銅像
大石内蔵助:討ち入りを最後まで選ばなかった男 赤穂藩筆頭家老の一年九ヶ月
泉岳寺の大石内蔵助銅像。手にしているのは連判状である。 この記事のポイント 大石内蔵助良雄は赤穂藩の筆頭家老。石高は千五百石 浅野家が断絶したあと、彼が最初に目指したのは討ち入りではなく御家再興だった 元禄十五年七月十八日、幕府が浅野長広の...
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