岐阜城:関ヶ原の戦い前哨戦にて落城 徳川家康により廃城にされた岐阜城 後編【お城特集 日本の歴史】

岐阜城:織田信長が天下布武の足がかりにした美濃の岐阜城(旧名:稲葉山城)前編【お城特集 日本の歴史】

【城名】
岐阜城

【城の説明】
慶長5年(1600年)、岐阜城主「織田秀信」は石田三成の挙兵に呼応し西軍につく(関ヶ原の戦い)。そして「関ヶ原の戦い」の前哨戦で岐阜城に立てこもるが「福島正則」や「池田輝政」らの東軍に攻められて落城する。秀信は弟の秀則と共に自刃しようとしたが輝政の説得で降伏した。

岐阜城:織田信長が天下布武の足がかりにした美濃の岐阜城(旧名:稲葉山城)前編【お城特集 日本の歴史】

降伏後は高野山への追放となるが後に高野山をも追われてしまう。そして慶長10年(1605年)5月8日、二度と世に出ることなく美濃国内で短い生涯を閉じた。享年26。

岐阜城:織田信長が天下布武の足がかりにした美濃の岐阜城(旧名:稲葉山城)前編【お城特集 日本の歴史】

※秀信は高野山追放後「美濃国内」に土着し子孫は脈々と続いている。

慶長6年(1601年)、徳川家康は岐阜城の廃城を決め娘婿の「奥平信昌」に10万石を与えて加納城を築かせる。加納藩の誕生である。その後加納藩は大久保氏、戸田氏、安藤氏と続き最後は永井氏にて明治維新を迎える。

※写真は加納城跡
岐阜城:織田信長が天下布武の足がかりにした美濃の岐阜城(旧名:稲葉山城)前編【お城特集 日本の歴史】

一方「岐阜城」は廃城のままであった。岐阜城は京都から見て東の要所に位置し、難攻不落の名城として知られているが実際には何度も落城にあっている。典型的な山城で戦国時代末期の大人数による長期籠城戦には本質的に不向きであった。

安土桃山時代には岐阜城麓に天主と呼ばれる御殿があり、御殿に通じる道の両側には石を積んだ塀がめぐらされていた。この御殿は南蛮様式を取り入れた4層の華麗なものであったという。御殿跡は岐阜公園の一部として整備されており、発掘調査が行われている。なお、現在の天守は鉄筋コンクリート建築3層4階建ての復興天守である。

岐阜城:織田信長が天下布武の足がかりにした美濃の岐阜城(旧名:稲葉山城)前編【お城特集 日本の歴史】

※岐阜城は日本100名城39番に指定されている。






【岐阜城・場所・アクセス】
〒500-0000 岐阜県岐阜市金華山天守閣18

【岐阜城地図】



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