落城– tag –
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国宝天守
犬山城:三度落ちた国宝天守と、日本で唯一「個人が持っていた城」だった理由
この記事のポイント国宝五城の一つで、木曽川の断崖に建つ現存天守です。戦国期に三度落城しています。守りが固い城が、三度とも短期で落ちました。江戸期の城主・成瀬家は「付家老」という、大名とも家臣ともつかない立場でした。成瀬家が大名と認められ... -
四国
安芸城:安芸国虎が長宗我部元親に戦を挑み敗戦し落城した安芸城
特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶ 【城名】 安芸城 【安芸城の説明】 安芸城は高知県安芸市土居に存在した平城である。延慶2年(1309年)鎌倉時代の末... -
中国
佐東銀山城:毛利元就の攻撃により落城した名門安芸武田氏の居城 佐東銀山城
【城名】 佐東銀山城 【佐東銀山城の説明】 佐東銀山城は広島県広島市安佐南区にあった山城である。承久3年(1221年)の承久の乱の後、安芸国佐東郡を拝領した武田氏当主「武田信光」は武田山の麓に守護所を建て、近隣の経営に乗り出した。 しかし、正安元... -
東海
明智城:斎藤義龍の攻撃により落城した明智光秀の故郷 明智城
【城名】 明智城 【明智城の説明】 明智城は岐阜県可児市瀬田長山にあった典型的な山城です。 康永元年(1342年)、美濃源氏の流れをくむ「土岐頼兼」がこの地に城を築き、明智と名乗ったとされています。 その後代々明智氏による統治がおこなわれてきたが... -
関東・甲信
三崎城:北条早雲の攻撃により落城した三浦義同(道寸)の水軍城 三崎城
【城名】 三崎城 【三崎城の説明】 三崎城は現在の神奈川県三浦市にあった三浦氏の居城跡である。 同じ半島にある「新井城」とは別に、北条氏が水軍の拠点としての機能を持つ城として改修したのが三崎城である。 鎌倉時代後期の三浦氏滅亡後に、「佐原盛時... -
日本100名城
山中城跡(三島市):石をひとつも使わなかった障子堀と、半日で落ちた小田原の西の守り
山中城は箱根の峠へ向かう街道をまたいで築かれた、小田原城の西の守りです。石垣はひとつもなく、火山灰の台地を削り、盛り、堀に畝を残して区画を切るという、土だけでできた城でした。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の大軍が押し寄せたとき、この城は半... -
関東・甲信
蒲原城:武田勝頼らの攻撃により北条綱重・長順兄弟が討死し落城した蒲原城
【城名】 蒲原城 【蒲原城の説明】 蒲原城は静岡県庵原郡蒲原町蒲原にあった海岸に面した平山城である。 築城時期は不明だが、鎌倉時代に「入江清定」の三男「清実」が蒲原荘に居住し蒲原氏を名乗ったと伝わる。 以降戦国時代になるまで蒲原氏の居城として... -
九州・沖縄
岩屋城:名将高橋紹運が島津忠長の大軍を一手に迎えて玉砕・落城した岩屋城
【城名】 岩屋城 【岩屋城の説明】 岩屋城は福岡県太宰府市浦城にあった山城である。築城時期は天文年間とされ、大友氏の武将「高橋鑑種」が築城したと伝えられており「立花山城」と共に大友家の筑前支配の重要な拠点であった。 大友氏21代当主「大友宗麟... -
関東・甲信
鹿島城:佐竹義重の常陸統一戦により攻撃を受け落城した鹿島城
城名 鹿島城 鹿島城の説明 鹿島城は茨城県鹿嶋市にあった中世の平山城で平安末期に常陸平氏の「鹿島政幹」が築いたとされている。 鹿島氏は代々この地を治め城の改修を行っていたが「鹿島義幹」が城主の時に、さらに大改修を行った。戦国時代に入ると豊臣... -
九州・沖縄
肝付城(高山城):大隅国で威を誇った肝付兼続だが島津家の攻撃により落城した肝付城
【城名】 肝付城(高山城) 【肝付城(高山城)の説明】 肝付城は本来は高山城と呼ばれる鹿児島県肝属郡肝付町新富本城にあった山城である。平安時代末期に平兼貞の子「兼俊」がこの地に城を築いたのが始まりと言われており、この時から肝付氏を名乗る。 ... -
関東・甲信
成東城跡(山武市):九十九里を見おろす土の城と、林が守った空堀
成東城(なるとうじょう)は、九十九里の平野を見おろす丘に築かれた土の城です。千葉氏の家臣・印東氏が築いたと伝わり、のちに千葉勝胤が再興しました。小田原征伐のさいに北条方として攻められて落城し、徳川の家臣が入ったのち廃されます。城跡は公園... -
北陸
魚津城:椎名康胤が上杉謙信に離反して落城した松倉城の支城 魚津城
【城名】 魚津城 【城の説明】 魚津城は富山県魚津市にあった平城で戦国時代には椎名康胤の治めていた城である。 椎名氏は上杉氏に従っており魚津城は松倉城という山城の支城であった。 ところが「椎名康胤」は甲斐・信濃を征服した武田信玄に寝がえった。... -
歴史ブログ
浅井長政 後編:朝倉家の滅亡に続き小谷城も落城 浅井家3代にて滅亡 後編
■ 日本の歴史ブログ 朝倉家の滅亡に続き小谷城も落城 浅井家3代にて滅亡 後編 天正元年(1573年)7月、信長は3万の軍勢を率いて再び北近江に攻め寄せた。長政は朝倉義景に援軍を要請し、義景は2万の軍勢で駆けつける。しかし織田の軍勢が北近江の城や拠点... -
歴史ブログ
小田原城落城後の北条氏の行く末は
■ 日本の歴史ブログ 小田原城落城後の北条氏の行く末は 戦国時代に関東をほぼ手中に収めていた「北条氏政・氏照」兄弟は中央で天下を狙う豊臣秀吉になかなか屈しなかった。天正18年(1590年)に秀吉の北条征伐が開始されると圧倒的な勢力に北条氏は籠城す... -
信長公記(現代文)
信長公記:犬山城の落城(実質的な尾張統一)
■ 日本の歴史 信長公記:犬山城の落城(実質的な尾張統一) 本日は「信長公記」から、信長が実質的に尾張を統一した「犬山城落城」の行(くだり)をご紹介致します。 永禄5年(1562年)6月下旬、信長公は織田信清殿(信長の従兄弟)の小口城(現愛知県小口町... -
日本100名城
観音寺城跡:安土城より二十年早く石垣を積んだ千の曲輪と、六角父子が戦わずに捨てた理由
観音寺城は、近江の守護・六角氏が繖山(きぬがさやま)の山ぜんたいに築いた巨大な山城です。曲輪の数は千を超えるといわれ、規模でいえば日本でも最大級。しかも安土城より二十年ほど早い時期から石垣を多用していて、山城に石を積むという発想の先駆け... -
日本100名城
高遠城跡(伊那市):仁科盛信が壮烈な戦死を遂げた城と、保科正之を育てた南曲輪
長野県伊那市に高遠城跡(たかとおじょうあと)がある。国指定史跡、日本100名城30番。 桜の名所として知られ、春には「天下第一の桜」と呼ばれるタカトオコヒガンザクラが咲く。 だがこの城には、桜よりも語るべきことがある。ここは、武田家で唯一まとも... -
日本100名城
岐阜城はなぜ廃城になったのか:関ヶ原の前哨戦で落ちた信長の孫と、加納城へ移された資材
岐阜城は難攻不落の城と呼ばれてきました。ところが実際には、何度も落ちています。斎藤道三の子孫が守っていたときに織田信長に落とされ、信長の孫が守っていたときには関ヶ原の前哨戦でわずか一日ほどで落ちました。そして戦いのあと、徳川家康はこの城... -
関東・甲信
岩槻城:太田道灌により築城され北条氏により落城した武蔵の名城 岩槻城(別名:白鶴城)
【城名】 岩槻城(別名:白鶴城) 【城の説明】 岩槻城は、武蔵国埼玉郡岩槻にあった城である。江戸時代には岩付とも書かれた。荒川の台地を利用した平城であり、珍しい総曲輪型城郭の縄張りが施されていた。中世には鎌倉街道中道・奥州道沿いに、近世には...
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