特集 ─ もうひとつの兄弟大河NHK『長宗我部兄弟!』をもっと知る元親と親泰の外交、伊予の金子元宅との約束、天正の陣、ゆかりの城まで ▶
【城名】
安芸城
【安芸城の説明】
安芸城は高知県安芸市土居に存在した平城である。延慶2年(1309年)鎌倉時代の末期に「安芸親氏」がこの地に城を築いたのが始まりとされている。

以降、安芸氏の居城となり土佐国東部の安芸郡を支配し、戦国時代には勢力を伸張し土佐七雄の一人に数えられた。安芸国虎が当主になると隣接する「長宗我部元親」との対立が強まり、元親の居城である岡豊城をしばしば攻撃した。

永禄12年(1569年)7月、国虎は土佐国西部の「一条兼定」と結び、長宗我部元親討伐の軍を起こした。しかし、この戦に敗れ総崩れとなり逆に「安芸城」を攻められる結果となった。国虎は籠城し続け善戦したが食料も尽き、将兵の命と引き換えに安芸氏の菩提寺である浄貞寺に入り自決し安芸城は落城した。

元親は安芸城に「香宗我部親泰」を配置し、阿波進攻の拠点とした。その後、四国を統一する勢いを示した元親だったが豊臣秀吉の四国征伐により土佐一国へと追いやられた。

元親が死去すると「長宗我部盛親」が跡を継ぎ土佐を治めていたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは石田三成の西軍へ属したため領地没収の上、お家改易となった。

長宗我部氏が改易されたあとの土佐には「山内一豊」が土佐一国を拝領し、安芸城には重臣の「五藤為重」を城代として配置した。江戸幕府が一国一城令を発令すると安芸城は廃城となるが堀、石垣などを整備し本丸跡には五藤氏の屋敷を建造した。

現在もその遺構は残り、石垣、土塁、堀などが整備されている。
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【安芸城・場所・アクセス】
〒784-0042 高知県安芸市土居953
【安芸城地図】
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