関ヶ原の戦い– tag –
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北陸
大聖寺城:関ヶ原の戦いでは山口宗永が前田利長に攻められて籠城・自刃した大聖寺城
【城名】 大聖寺城 【大聖寺城の説明】 大聖寺城は石川県加賀市にあった平山城である。 築城時期は鎌倉時代で狩野氏によって築かれたとされている。 戦国時代に入ると越前国の「朝倉宗滴」が加賀に侵攻し、大聖寺城は一日にして陥落した。永禄10年(1567年... -
関東・甲信
上田城:真田昌幸が築城し徳川軍を散々苦しめた上田城
【城名】 上田城 【上田城の説明】 上田城は長野県上田市二の丸にあった梯郭式平城である。 築城時期は天正11年(1583年)、信濃国小県の真田本城主の「真田昌幸」が天正11年~天正18年にかけて築城したと伝わる。 上田城が一躍有名になったのが、天正13年... -
歴史ブログ
関ヶ原の戦いの戦闘に参加しなくても出世した男 山内一豊
■ 日本の歴史ブログ 関ヶ原の戦いの戦闘に参加しなくても出世した男 山内一豊 生きるか死ぬかの激しい戦国時代のさなか、実際に「関ヶ原の戦い」の戦闘に加わらなくても大いに出世した男がいた。それが土佐一国の城主となった山内一豊だ。 一豊がどのよう... -
中国
足守陣屋:木下家定が関ヶ原の戦い後に徳川家康より2万5千石で拝領した足守陣屋
【城名】 足守陣屋 【足守陣屋の説明】 足守陣屋は岡山県岡山市北区足守にあった足守藩の陣屋である。慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いで中立を保った「木下家定」が徳川家康より足守藩2万5千石を与えられたことに始まる。 本格的な陣屋町として整備された... -
九州・沖縄
宮崎城:戦国時代は伊東氏の城で関ヶ原の戦い後は高橋元種の居城となった宮崎城
【城名】 宮崎城 【宮崎城の説明】 宮崎城は現在の宮崎県宮崎市池内町にあった山城である。 築城時期は定かではないが、建武2年(1335年)に南朝方だった「図師六郎入道隋円・慈円」父子により築かれたと言われており、別名を「池内城」という。 建武年間... -
東海
苗木城跡(中津川市):天守は二つの巨岩にまたがっていた。岩に開いた柱穴が残る城
岐阜県中津川市に苗木城跡(なえぎじょうあと)がある。国指定史跡、続日本100名城142番。 この城には、日本の城の常識から外れた特徴がある。 天守が、巨大な岩の上にまたがって建っていた。 天守台に組まれた木の骨組み。巨岩の形に合わせて柱が立ってい... -
九州・沖縄
栂牟礼城:佐伯惟治が築城し関ヶ原の戦い後は毛利高政の入封により廃城となった栂牟礼城
【城名】 栂牟礼城 【栂牟礼城の説明】 栂牟礼城は大分県佐伯市弥生大字井崎上小倉にあった山城である。 築城時期は不明だが、大永年間に「佐伯惟治」によって築かれたと伝えられている。 大永7年(1527年)、主君である「大友義鑑」に謀反の企てがあると... -
九州・沖縄
佐伯城:関ヶ原の戦いの功により佐伯2万石を賜った毛利高政の居城 佐伯城
【城名】 佐伯城 【佐伯城の説明】 佐伯城は大分県佐伯市にあった山城です。 佐伯の地はもともとこの地の土豪である佐伯氏が「栂牟礼城」を築いて大友氏の家臣となっていました。 しかし、大永7年(1527年)「大友義鑑」は謀反の企てありとして「臼杵長景... -
北海道・東北
角館城:戸沢盛安が勢力を拡大 関ヶ原の戦い後は佐竹氏の支配下に置かれた角館城
【城名】 角館城 【角館城の説明】 角館城は秋田県仙北市の観光名所角館にある山城跡である。 戦国時代に戸沢氏の本拠地があったことで知られている。 戸沢氏は応永31年(1424年)に北浦郡の門屋城から角館城へ移りここを拠点に領土拡大に努めた。天正11年... -
近畿
大津城:関ヶ原の戦いでは熾烈な籠城戦を展開した京極高次の居城 大津城
【城名】 大津城 【大津城の説明】 大津城は現在の滋賀県大津市浜大津付近にあった琵琶湖畔の水城である。 明智光秀が主君である織田信長を「本能寺の変」にて討ち取ると、その光秀を羽柴秀吉が討ち取り一躍天下人へと上り詰める。 その際、光秀の本城だっ... -
近畿
膳所城跡(大津市):湖に突き出した天下普請最初の城と、神社に移された城門
膳所城(ぜぜじょう)は、琵琶湖に突き出して築かれた水城です。関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康が諸大名に命じて築かせました。天下普請による築城としては最初のものにあたります。本丸は湖に張り出し、三方を水にかこまれていました。今は本丸跡が公園に... -
歴史ブログ
伊達政宗:関ヶ原の戦いから大阪の陣そして晩年(後編)
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:関ヶ原の戦いから大阪の陣そして晩年(後編) 関ヶ原の合戦が始まると政宗は上杉景勝の抑えとして背後を任されることになる。家康が西下する際に上杉軍が追撃出来ないよう牽制する大役を課せられたのである。 この時、政宗は... -
歴史ブログ
伊達政宗:摺上原の戦いから関ヶ原の戦いまで(中編)
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:摺上原の戦いから関ヶ原の戦いまで(中編) 政宗は奥羽最大の大名へと上り詰めていた。しかし、中央では豊臣秀吉が織田信長の覇権を継承しており、関東の北条氏政・氏直親子征伐のため準備を進めていた。 その際、政宗のもと... -
九州・沖縄
日向高岡城跡(天ヶ城):あの天守は後世の建物 ― 島津が国境に置いた城と、麓の町
日向高岡城(ひゅうがたかおかじょう)は、島津氏が日向と薩摩の境目を固めるために築いた城です。天ヶ城とも呼ばれ、大淀川を見おろす台地の先端にありました。関ヶ原の戦いのあと、国境の警備を強めるために築かれたと伝わります。今は天ヶ城公園として... -
東海
加納城跡(岐阜市):岐阜城を壊して築かれた平城と、天守が建たなかった天守台
加納城(かのうじょう)は、関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康の命で築かれた美濃の平城です。山上の岐阜城が廃され、その資材が運び下ろされて使われました。最初に城主となったのは家康の娘婿・奥平信昌です。本丸には天守台が築かれながら、天守は建てられ... -
中国
鹿野城跡(鳥取市):堀に桜が映る亀井茲矩の城と、関ヶ原より二十年早い入城
鹿野城(しかのじょう)は、因幡の西部、鳥取市鹿野町にあった平山城です。城主として知られるのは亀井茲矩で、尼子再興軍に身を投じた武将のひとりでした。城山の裾を二重の堀がめぐり、今もその水面が残ります。茲矩は城だけでなく町と用水を整え、鹿野... -
九州・沖縄
宇土城跡(宇土市):小西行長が築いた城と、熊本城の宇土櫓をめぐる説
宇土城(うとじょう)は、小西行長が築いた肥後南部の城です。中世からあった宇土古城の東の丘に、三重の天守を持つ近世の城として建てられました。関ヶ原の戦いで行長が敗れると、加藤清正がこの城を攻め落とし、肥後一国の大名になります。清正は宇土城... -
近畿
伏見桃山城:あの天守は昭和の建物 ― 秀吉の最後の城と、鳥居元忠の十三日
伏見の丘に建つ大小二つの天守は、豊臣秀吉の伏見城を復元したものではありません。昭和三十九年に遊園地の施設として建てられた模擬天守です。本物の伏見城の中心は、いま明治天皇陵になっていて立ち入ることができません。それでもこの場所が特別なのは... -
歴史ブログ
関ヶ原の戦い(後編):徳川家康と石田三成 戦国史上東西大合戦
【合戦名】 関ヶ原の戦い(後編) 【説明】 さて、徳川家康が関ヶ原に到着したのは九月十四日であった。そして付近の赤坂へ進み、岡山という小高い山の頂上を本陣とした。西軍(反家康軍)は関ヶ原の西方にあたる小関村に陣を取り、東軍(家康軍)と対峙す... -
歴史ブログ
関ヶ原の戦い(前編):徳川家康と石田三成 戦国史上東西大合戦
【合戦名】 関ヶ原の戦い(前編) 【説明】 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いは知る人ぞ知る、東西を大きく二分して「岐阜県不破郡関ケ原町」で争われた世紀の大合戦です。豊臣秀吉の死後、徳川家康は五大老・ご奉行の合議制を形骸化して実質的な政権運営者...
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