鉢形城:秀吉の北条征伐では一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げた北条氏邦の鉢形城【お城特集 日本の歴史】

鉢形城/アクセス・場所・地図 秀吉の北条征伐では一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げた北条氏邦の鉢形城【お城特集 日本の歴史】

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【城名】
鉢形城

【小高城の説明】
鉢形城は埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にあった平山城である。
上野国の管領山内上杉氏の重臣、長尾景信の跡を次男「長尾忠景」が継いだことで嫡男「長尾景春」が怒り、古河公方「足利成氏」と手を組んだ。

この時、景春が築いたのが鉢形城の始まりである。文明10年(1478年)扇谷上杉氏の重臣「太田道灌」が鉢形城を攻め落とし「上杉顕定」が入城した。その後、扇谷上杉の当主「上杉定正」が鉢形城を攻めるが城を落とすまでには至らなかった。

これから先、しばらくは山内上杉氏(上杉顕定)と扇谷上杉氏(上杉定正)との間で攻防戦が繰り広げられることになり、これに相模の「北条氏綱」や甲斐の「武田信虎」なども加わり武蔵国は混迷を極めることになる。

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結局、大永5年(1525年)武蔵国と関東管領職は山内上杉家の当主「上杉憲政」が引き継いだ。この頃、相模の北条氏康は武蔵国攻略のため「上杉朝正」「上杉憲政」が立てこもる川越城に攻め込み大いに大勝した。この戦で「上杉朝正」は討ち死し扇谷上杉氏は滅びた。

北条氏康はこの一戦により武蔵一国をほぼ統一することに成功し、鉢形城には氏康の四男「北条氏邦」を派遣し北関東支配の中心地とした。氏邦は永禄12年(1569年)に武田信玄による攻撃を受け、天正2年(1574年)には、上杉謙信から攻撃を受けるがいずれも撃退している。

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天正18年(1590年)豊臣秀吉による「小田原征伐」がはじまり、鉢形城は「前田利家」「上杉景勝」「真田昌幸」、そして徳川家康の重臣「本多忠勝」「鳥居元忠」 らの連合軍に包囲され、約一ヶ月の籠城戦の末に開城した。

秀吉の北条征伐が完了すると関東の地は徳川家康に与えられ「鉢形城」は廃城となり、周辺を統治する代官として「成瀬正一」や「日下部定好」が配置された。

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現在の鉢形城は鉢形城公園として整備されており、日本100名城の一つにも指定されている。






【鉢形城・場所・アクセス】
〒369-1224 埼玉県大里郡寄居町鉢形

【鉢形城地図】



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