大館城(飯野平城):戦国大名 岩城常隆が伊達政宗と渡り合った本城 大館城

大館城(飯野平城)/アクセス・地図・場所 戦国大名 岩城常隆が伊達政宗と渡り合った本城 大館城

【城名】
大館城(飯野平城)

【大館城(飯野平城)の説明】
大館城は福島県いわき市好間町にあった平山城です。
文明15年(1483年)戦国大名「岩城常隆」により築城されたと伝えられています。

大館城(飯野平城)/アクセス・地図・場所 戦国大名 岩城常隆が伊達政宗と渡り合った本城 大館城【お城特集 日本の歴史】

常隆は近隣の蘆名氏・佐竹氏・相馬氏・田村氏・伊達氏と抗争を繰り返し、徐々に圧力を受け始めた。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐が勃発すると常隆はこれに従い領地を安堵されました。

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その後、常隆が病死すると佐竹義重の三男「岩城貞隆」が岩城氏を継いだ。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが勃発すると貞隆は兄の「佐竹義宣」と行動を共にしたため岩城地方12万石を没収されてしまう。

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しかし、のちに許されて川中島1万石を拝領し、嫡男「岩城吉隆」は出羽亀田藩へ移封され岩城氏はそのまま明治維新を迎える。なお、大館城は関ヶ原の戦い後の、慶長7年(1602年)に「鳥居忠政」が10万石で入封するが、新たに大館城の東に「岩城平城」を築城したため廃城となりました。

目次

伊達・佐竹・相馬に囲まれた城

大館城は、いわきの平野を見下ろす丘に築かれた平山城で、飯野平城とも呼ばれます。岩城氏はこの城を本拠に、北の相馬氏、西の田村氏や芦名氏、南の佐竹氏、そして勢いを増す伊達氏に囲まれながら領地を保ちました。周囲がすべて大勢力という位置で、婚姻と離反を繰り返しながら生き延びた家です。米沢城の伊達氏や会津の争いとも、常に地続きでした。

小田原に参陣して、家を残した

天正十八年(一五九〇)の小田原征伐に、岩城常隆は参陣して所領を安堵されました。同じころ参陣しなかった石川氏が改易されたことを思えば、この判断が家の運命を分けています。ところが常隆が病で亡くなると、跡を継いだのは佐竹義重の三男・貞隆でした。血ではなく、家を存続させる形が選ばれたわけです。

関ヶ原で兄と同じ道を選び、所領を失う

慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原で、貞隆は実兄の佐竹義宣と行動をともにし、どちらにも明確に付きませんでした。戦後、岩城地方十二万石は取り上げられます。のちに許されて信濃川中島に一万石を与えられ、子の吉隆の代に出羽亀田へ移って、岩城氏は明治まで続きました。城を失っても家は残ったことになります。

現地はいま

城跡は丘の上の公園と住宅地になっており、曲輪の平場や堀の痕跡が部分的に残ります。いわき市街から近く、平城(たいらじょう)とあわせて歩くと、いわきの中心がどう移ったのかが分かります。曲輪や堀の見方は城の基本用語にまとめました。

【大館城(飯野平城)・場所・アクセス】
〒970-1151 福島県いわき市好間町下好間字大舘地内

【大館城(飯野平城)地図】

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