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歴史ブログ
忍城を籠城死守した成田長親(のぼうの城 主人公)の末路とは?
■ 日本の歴史ブログ 忍城を籠城死守した成田長親(のぼうの城 主人公)の末路とは? いよいよ豊臣秀吉が関東の北条氏政・氏照攻め(小田原征伐)を開始した時、武蔵の国忍城の成田氏は当主の氏長が小田原城へ援軍として入城し、従兄弟の長親が忍城を守るこ... -
北陸
大聖寺城:関ヶ原の戦いでは山口宗永が前田利長に攻められて籠城・自刃した大聖寺城
【城名】 大聖寺城 【大聖寺城の説明】 大聖寺城は石川県加賀市にあった平山城である。 築城時期は鎌倉時代で狩野氏によって築かれたとされている。 戦国時代に入ると越前国の「朝倉宗滴」が加賀に侵攻し、大聖寺城は一日にして陥落した。永禄10年(1567年... -
関東・甲信
松井田城:北条征伐では北条家重臣大道寺政繁が3ヶ月も籠城戦を展開した松井田城
【城名】 松井田城 【松井田城の説明】 松井田城は群馬県安中市松井田町高梨子にあった戦国時代の山城である。 築城時期は明確ではないが永禄元年(1560年)頃と言われており、この地を治めていた安中氏の一族によって築かれた。 長享元年(1487年)に「安... -
近畿
槇島城跡(宇治市):沼のなかの島と、京から将軍がいなくなった日
槇島城(まきしまじょう)は、宇治川の下流に広がっていた沼地のなかの島に築かれた水城です。天正元年(一五七三)、織田信長に兵を挙げた足利義昭が、幕府奉行衆の真木島昭光を頼ってこの城に籠もりました。信長はただちに城を囲み、まもなく開城します... -
日本100名城
山中城跡(三島市):石をひとつも使わなかった障子堀と、半日で落ちた小田原の西の守り
山中城は箱根の峠へ向かう街道をまたいで築かれた、小田原城の西の守りです。石垣はひとつもなく、火山灰の台地を削り、盛り、堀に畝を残して区画を切るという、土だけでできた城でした。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の大軍が押し寄せたとき、この城は半... -
東海
下田城:豊臣秀吉の北条攻めで清水康英が一ヶ月の籠城の末に開城した下田城
【城名】 下田城 【下田城の説明】 下田城は静岡県下田市にあった平山城である。 下田港の入口に位置し岬全体が城としての機能を果たしていた。 築城時期は不明だが戦国時代には「北条氏康」の家臣「朝比奈孫太郎」が城主として任命されていた。豊臣秀吉が... -
日本100名城
鉢形城:秀吉の北条征伐では一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げた北条氏邦の鉢形城
【城名】 鉢形城 【小高城の説明】 鉢形城は埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にあった平山城である。 上野国の管領山内上杉氏の重臣、長尾景信の跡を次男「長尾忠景」が継いだことで嫡男「長尾景春」が怒り、古河公方「足利成氏」と手を組んだ。 この時、景春が... -
近畿
八上城:明智光秀に攻められて籠城戦を展開した波多野秀治の居城 八上城
【城名】 八上城 【八上城の説明】 八上城は兵庫県篠山市にあった山城である。 中世・室町時代・戦国時代にかけて丹波国の国人「波多野氏」が代々治める城であった。 波多野稙通が応仁の乱にて戦功をあげてこの地に城を築いたことから八上城の歴史が始まり... -
関東・甲信
東金城跡:酒井氏が守った上総の城と、麓に通された御成街道
東金城は上総の国衆、東金酒井氏が拠った城です。里見氏と北条氏のあいだで揺れ、最後は北条方として小田原に籠もり、敗戦とともに所領を失いました。城は廃されましたが、その麓は徳川の世に思わぬ形で表舞台に戻ります。家康と秀忠が鷹狩りのために東金... -
関東・甲信
土気城跡(千葉市緑区):台地を断ち切る土塁と、寺を一宗にまとめた酒井氏
土気城(とけじょう)は、上総の台地の先端に築かれた城です。千葉氏の流れをくむ土気氏が築き、のちに酒井定隆が奪って本拠としました。定隆は領内の寺を日蓮宗に改めさせたと伝えられ、その名残が今もこの地域の寺の分布に残っています。里見と北条のあ... -
近畿
大津城:関ヶ原の戦いでは熾烈な籠城戦を展開した京極高次の居城 大津城
【城名】 大津城 【大津城の説明】 大津城は現在の滋賀県大津市浜大津付近にあった琵琶湖畔の水城である。 明智光秀が主君である織田信長を「本能寺の変」にて討ち取ると、その光秀を羽柴秀吉が討ち取り一躍天下人へと上り詰める。 その際、光秀の本城だっ... -
東海
大河内城跡(松阪市):五十日の籠城と、養子縁組で終わった北畠氏
大河内城(おおかわちじょう)は、伊勢の国司・北畠氏の城です。織田信長の伊勢攻めにあたり、北畠具教・具房の父子がここに籠もり、五十日ほど持ちこたえました。決着は力攻めではなく、信長の次男を養子に迎えるという形の講和です。家を残したように見... -
近畿
信貴山城跡(平群町):山上に四階櫓が建っていた大和最大の山城と、松永久秀の最期
この記事のポイント 信貴山城は松永久秀が大和最大級に築き直した山城で、多聞山城と対になる拠点だった 四階建ての櫓が建っていたと伝わり、安土城の天主より早い高層建築の例とみる見方がある 久秀は二度目の離反のあと、この城で最期を迎えた いまは朝... -
近畿
上月城跡(佐用町):三国境の城と、救援が来なかった尼子再興軍の最後
上月城は播磨・備前・美作の三国が接するあたりに築かれた山城です。出雲街道を押さえる位置にあり、織田と毛利が中国地方でぶつかったとき、まっさきに奪い合われました。城に入った尼子勝久と山中鹿介が毛利の大軍に囲まれ、救援に向かった羽柴秀吉が引... -
日本100名城
鳥取城跡:渇え殺しの前に米を買い占めた秀吉と、天球丸の丸い石垣
鳥取城は久松山の頂から麓まで、山城と近世城郭が一つの山に重なって残っている城跡です。羽柴秀吉の兵糧攻め、いわゆる渇え殺しの舞台として知られますが、城の見どころはそれだけではありません。山上には戦国の曲輪が、山下には池田氏が整えた石垣が並... -
戦国時代
久留里城:北条綱成による攻撃に里見義堯・義弘は籠城 上総の山城久留里城
【城名】 久留里城 【城の説明】 久留里城は千葉県君津市にあった山城である。久留里城は名族武田氏によって室町時代に築城されたのが始まりとされている。その後戦国時代に入ると武田氏は「真里谷氏」と称することとなり「真里谷武田家」とも呼ばれていた...
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