アクセス– tag –
-
北陸
高田城跡(上越市):石を一つも使わない七十五万石の城と、地震が削った二百五十七年
高田城とは 高田城は慶長十九年(1614)、徳川家康の六男松平忠輝が越後高田の菩提が原に築いた城である。石高は七十五万石(諸説あり)とされる大規模な近世城郭だった。 にもかかわらず、この城には石垣が一つもない。そして天守も建てられなかった。案... -
日本100名城
和歌山城:秀長が築き浅野が整え徳川が継いだ城と、二人の将軍を出した紀州家
この記事は新しい記事にまとめました内容を加筆して一本にまとめています。最新版はこちらをご覧ください。和歌山城:豊臣秀長が虎伏山に築いた紀州の城と、三つの時代が層になった石垣 和歌山城は市街地のただなかにある虎伏山の上に建ち、麓から見上げる... -
戦国時代
大垣城:美濃三人衆氏家卜全の居城にて関ヶ原の戦いでは西軍(石田三成)の拠点となった大垣城
【城名】 大垣城 【大垣城の説明】 大垣城の歴史は古く、はっきりとした築城者が誰なのか明確にはわかっていない。しかし、戦国時代に入ると「織田信長」の父にあたる「織田信秀」の侵攻により大垣城は落城する。その後、織田家の一族がこの城を守っていた... -
関東・甲信
笠間城跡(佐白山):茨城県唯一の石垣が残る山城と、赤穂浪士を生んだ浅野家二十三年
※この記事のイラストは、当時の様子を描いたイメージです。 笠間城とは 笠間城は、常陸国笠間の佐白山(標高約205メートル)に築かれた山城である。承久元年(1219)に笠間時朝が築いたと伝えられ、以後およそ三百七十年にわたって笠間氏の本拠となった。 ... -
戦国時代
牛久城(牛久陣屋):関ヶ原の戦いの戦功にて山口重政が1万石を配領した牛久城(牛久陣屋)
【城名】 牛久城(牛久陣屋) 【城の説明】 牛久城は戦国時代土浦の小田氏の一族岡見氏のよって築かれたとされている。岡見氏は小田氏に従属していたが隣接する多賀谷氏・佐竹氏らの攻撃にさらされ、次第に関東制覇を狙う北条氏に従うようになっていく。 ... -
中国
萩城跡(指月城):毛利が百二十万石を失って移った城と、倒幕の司令塔にならなかった理由
萩城は、関ヶ原に敗れた毛利家が日本海側に構えた城です。中国八か国百二十万石から周防・長門二か国へ削られ、瀬戸内の広島城を去って、山陰の指月山のふもとに新しい政庁を置きました。この移転を屈辱と受け取り、その恨みが二百五十年後の討幕につなが... -
四国
中村城跡:京から下った一条家が築いた城と、助けた家に奪われた百年
この記事のポイント中村城は、京の摂関家・一条家が土佐へ下ってきて築いた城です。その一条家が、落ちぶれていた長宗我部を助けました。助けられた家の孫が、のちにこの城を奪います。見取図には十以上の門の名が並び、東・西・北の三の丸を持つ大規模な... -
日本100名城
赤穂城跡:軍学が形にした折れ曲がる堀と、刃傷から討ち入りまでの城
※この記事の絵は、当時の様子を描いたイメージ(イラスト)です。 赤穂城は千種川の河口に築かれた海際の城で、堀が直角ではなく細かく折れ曲がる独特の縄張を持ちます。軍学の考え方を設計にそのまま持ち込んだ城で、屈曲のたびに横から矢や鉄砲を掛けら... -
日本100名城
大阪城:秀吉の城は地下に眠る ― 徳川が埋めて築き直した城と、百トンの蛸石
大阪城は豊臣秀吉の城として知られています。ところが、いま園内で見上げる石垣も堀も、そのひとつも秀吉が築いたものではありません。大坂夏の陣で豊臣の城が焼けたあと、徳川幕府は残った石垣ごと土で埋め、その上に一回り大きな城を新しく築きました。... -
中国
尾道城:歴史に存在しなかった天守と、廃墟を経て視点場になるまで
尾道の坂道を登ると、かつて千光寺山の中腹に白い天守が建っていました。尾道城と呼ばれたその建物は、歴史上の城を再建したものではありません。昭和三十九年に地元の商工会が観光施設として建てた、鉄筋コンクリートの模擬天守です。入館者が減って閉鎖... -
日本100名城
江戸城:天守が二度と建てられなかった理由と、いまも残る富士見櫓・番所・天守台
【城名】 江戸城 【江戸城の説明】 江戸城の歴史は戦国時代よりもはるかに古く、平安時代から鎌倉時代にかけて江戸氏により築かれたと言われています。その後、江戸氏の没落とともに、戦国時代初期に扇谷上杉氏の家臣「太田道灌」によって城の改修が行われ... -
中国
広島城:毛利輝元が山を下りて築いた鯉城と、「広島」という名の始まり
広島城は毛利輝元が山を下りて築いた城です。太田川の河口に広がる三角州へ本拠を移し、そこにあった村の名を改めて「広島」としました。町の名が城とともに生まれたことになります。輝元は関ヶ原ののちに萩へ移され、代わって福島正則、そして浅野氏が入... -
中国
福山城跡:福島正則の改易のあとに水野勝成が三年で築いた城と、北側だけ鉄板を張った天守
福山城は、戦国が完全に終わったあとに築かれた、日本でも最後の時期にあたる近世城郭です。きっかけは福島正則の改易でした。安芸・備後五十万石を取り上げられた正則の跡へ、徳川譜代の水野勝成が備後十万石の領主として入り、三年をかけてこの城を構え... -
北海道・東北
一関城:伊達政宗の妻の実家田村氏(田村建顕)の居城 一関城
【城名】 一関城 【城の説明】 一関城は仙台藩の支藩として現在の岩手県一関市釣山にあった城である。建物は城というよりも館(陣屋)に近いものがあり、堀を巡らしてはいたが本丸に天守は造られなかった。戦国時代には葛西氏の所領だったが葛西氏が豊臣秀... -
日本100名城
高遠城跡(伊那市):仁科盛信が壮烈な戦死を遂げた城と、保科正之を育てた南曲輪
長野県伊那市に高遠城跡(たかとおじょうあと)がある。国指定史跡、日本100名城30番。 桜の名所として知られ、春には「天下第一の桜」と呼ばれるタカトオコヒガンザクラが咲く。 だがこの城には、桜よりも語るべきことがある。ここは、武田家で唯一まとも... -
四国
伊予松山城:連立式の本壇と二十一棟の重要文化財、現存十二天守でいちばん新しい天守
伊予松山城は、現存十二天守のひとつでありながら、そのなかで最も新しい天守を持つ城です。加藤嘉明が築いたときの天守は五層でしたが、次の代で三層に改められ、その建物も落雷で焼けました。いま建っているのは幕末に再建されたものです。つまり「現存... -
日本100名城
岐阜城(稲葉山城):信長が天下布武を掲げた城と、山麓の居館跡・山頂の巨石の石垣
【城名】 岐阜城(旧名:稲葉山城) 【城の説明】 岐阜城は岐阜県岐阜市の金華山にあった山城です。現在の金華山は旧名では美濃国井之口稲葉山と呼称されていました。織田信長が、斎藤龍興(斎藤道三の孫)から奪取した稲葉山城の縄張りを改修して、新たに... -
日本100名城
岐阜城:本能寺の変にて織田信長・信忠親子が斃れ城主がめまぐるしく変わる岐阜城 中編
【城名】 岐阜城(稲葉山城) 【城の説明】 信長は美濃を拠点に北近江の浅井家、越前の朝倉家などと攻防を重ね、長い年月をかけて近江・越前・近畿、さらには本願寺を降伏させて摂津の国などを支配下においた。その上で各方面へ担当の軍事司令官を配置し、... -
日本100名城
岐阜城はなぜ廃城になったのか:関ヶ原の前哨戦で落ちた信長の孫と、加納城へ移された資材
岐阜城は難攻不落の城と呼ばれてきました。ところが実際には、何度も落ちています。斎藤道三の子孫が守っていたときに織田信長に落とされ、信長の孫が守っていたときには関ヶ原の前哨戦でわずか一日ほどで落ちました。そして戦いのあと、徳川家康はこの城... -
北陸
富山城:佐々成政滅亡後 前田利常の次男利次が富山藩10万石を立藩 富山城
【城名】 富山城 【城の説明】 富山城は、富山県富山市丸の内にあった城である。別名「浮城(うきしろ)」ともいわれた。神通川の流れを城の防御に利用したため、水に浮いたように見え「浮城」の異名をとった。 室町時代の越中守護は三管領(畠山氏・細川...
