※この記事のアイキャッチは、墓所の雰囲気を描いたイメージ(イラスト)で、実際の増上寺・寛永寺の墓所ではありません。
徳川将軍十五人の墓は、東京の増上寺(港区芝)に六人、寛永寺(台東区上野)に六人、栃木県の日光に二人、そして谷中霊園に一人と、四つの場所に分かれています。初代家康は日光東照宮に神として祀られ、三代家光も日光の大猷院に眠ります。最後の将軍・慶喜だけは、仏式ではなく神式で谷中に葬られました。この記事では、十五人それぞれの眠る場所と、いま実際にお参りや見学ができるのかをまとめます。
- 増上寺に六人:秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂
- 寛永寺に六人:家綱・綱吉・吉宗・家治・家斉・家定
- 日光に二人:家康(東照宮)と家光(大猷院)。慶喜は谷中霊園に神式で眠る
- 増上寺の墓所は拝観できるが、寛永寺の霊廟は通常は非公開
徳川将軍15人の墓一覧
| 代 | 将軍 | 眠る場所 |
|---|---|---|
| 初代 | 徳川家康 | 日光東照宮(はじめ駿河の久能山に葬られる) |
| 二代 | 徳川秀忠 | 増上寺 |
| 三代 | 徳川家光 | 日光山輪王寺 大猷院 |
| 四代 | 徳川家綱 | 寛永寺 |
| 五代 | 徳川綱吉 | 寛永寺 |
| 六代 | 徳川家宣 | 増上寺 |
| 七代 | 徳川家継 | 増上寺 |
| 八代 | 徳川吉宗 | 寛永寺 |
| 九代 | 徳川家重 | 増上寺 |
| 十代 | 徳川家治 | 寛永寺 |
| 十一代 | 徳川家斉 | 寛永寺 |
| 十二代 | 徳川家慶 | 増上寺 |
| 十三代 | 徳川家定 | 寛永寺 |
| 十四代 | 徳川家茂 | 増上寺 |
| 十五代 | 徳川慶喜 | 谷中霊園(神式) |
増上寺と寛永寺には、それぞれの将軍のために壮麗な霊廟が建てられていましたが、その多くは空襲で焼けてしまいました。失われた霊廟の姿は徳川家霊廟とは|東京から消えた「幻の世界遺産」で詳しく書いています。
家康|久能山から日光へ
元和二年(1616年)、家康は駿府城で亡くなり、遺言によってまず駿河の久能山に葬られました。一周忌を迎えると、神として日光に祀られ、日光東照宮の奥宮が家康の墓所となります。ただ、遺骸がどこまで日光に移されたのかについては昔から議論があり、いまも久能山にそのまま眠っているとする見方もあります。家康が晩年を過ごした城は駿府城跡、最初に葬られた山の城は久能城で書いています。
増上寺の六人|秀忠から家茂まで
芝の増上寺は、家康が江戸に入ったときに徳川家の菩提寺と定めた浄土宗の大寺院です。ここには二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六人が眠っています。秀忠の正室・江(崇源院)や、家茂の正室・和宮の墓もここにあります。戦後、墓所は整理されて一か所にまとめて改葬され、いまは「徳川将軍家墓所」として拝観できます(公開日や時間は増上寺の案内で確認してください)。江の生涯は浅井三姉妹のその後で書いています。
改葬のときには将軍や正室たちの遺骨が学術的に調べられ、身長や顔立ち、歯の様子までがわかりました。和宮の棺からは不思議な写真も見つかっています。この話は増上寺の将軍の墓の発掘調査でわかったことで詳しく書いています。
寛永寺の六人|家綱から家定まで
上野の寛永寺は、三代家光のころに天海が江戸城の北東、鬼門を守るために開いた天台宗の寺です。ここには四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の六人が眠ります。家定の正室・天璋院(篤姫)も寛永寺に葬られました。倹約を掲げた吉宗は自分のための霊廟を新しく建てさせず、綱吉の霊廟に合わせて祀られたと伝わります。寛永寺の霊廟は通常は非公開で、見学できるのは寺が行う特別参拝の機会などに限られます。江戸城の鬼門という考え方は江戸城とあわせて読むとわかりやすくなります。
なぜ増上寺と寛永寺に分かれたのか
もとは増上寺が徳川家の菩提寺でしたが、家光が天海を深く信頼したことで、寛永寺も菩提寺に加わりました。四代家綱が寛永寺に葬られると、両寺のあいだで将軍の墓所をめぐる競い合いが起き、最終的にはほぼ交互に、六人ずつに分かれることになります。どちらの寺に葬られるかは、将軍の遺志や、そのときの幕府と寺の関係で決まったとされます。二つの寺の霊廟の違いは徳川家霊廟とはで比べています。
家光と慶喜|日光の大猷院と、谷中の神式の墓
三代家光は、祖父家康を深く敬い、死後も家康のそばに仕えたいと願いました。その遺言により、家光の霊廟・大猷院は日光東照宮の近くに、家康の東照宮より控えめな造りで建てられています。一方、十五代慶喜は大政奉還のあとも長く生き、大正二年(1913年)に亡くなりました。慶喜は仏式ではなく神式での埋葬を望み、寛永寺の隣にある谷中霊園に、円墳の形の墓が築かれています。慶喜が政権を返上した舞台は二条城で書いています。
台徳院殿霊廟の模型|なぜ百年間イギリス王室にあったのか
秀忠の霊廟を十分の一で再現した模型。空襲を免れ、百年ぶりに増上寺へ戻った。
まとめ|東京で将軍の墓を訪ねるなら
東京で将軍の墓に手を合わせるなら、まず芝の増上寺です。徳川将軍家墓所のほか、秀忠の霊廟の模型も見ることができます。上野の寛永寺は、特別参拝の機会を調べてから出かけるとよいでしょう。谷中霊園の慶喜の墓は、外から見学できます。そして日光まで足をのばせば、家康と家光の霊廟が当時のまま残っています。東京の霊廟がかつてどれほど壮麗だったかは徳川家霊廟とはをご覧ください。

