山内一豊誕生地(神明生田神社):岩倉城の家老の家に生まれた土佐藩祖 ― 大正の棟札が決め手になった生誕の地

山内一豊誕生地(やまうちかずとよたんじょうち)は、愛知県岩倉市の神明生田神社(しんめいいくたじんじゃ)の境内にある史跡です。一豊は天文14年(1545)、岩倉城主・織田伊勢守家の家老だった山内盛豊の子としてこの地に生まれ、のちに土佐一国二十万石の大名になりました。岩倉市の史跡に指定されています。

文・写真:佐藤秀信(すべて現地で撮影)

この記事のポイント
  • 山内一豊は、岩倉城の家老・山内盛豊の子としてこの地で生まれた
  • 大正8年(1919)、神明生田神社の遷座式で見つかった棟札が、誕生地とされる有力な決め手になった
  • 永禄2年(1559)の岩倉城落城で父を失い、一豊は母や弟妹と各地を転々とした
  • 境内には誕生記念碑のほか、大河ドラマ『功名が辻』の放映記念碑もある

山内一豊誕生地の石碑

神明生田神社の境内奥にある「山内一豊公誕生地」の石碑。

目次

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案内板に書かれていること

境内には岩倉市教育委員会の案内板が立っていて、一豊の生涯がひととおりまとめられています。

現地の案内板に書かれていること

山内一豊は天文14年(1545)、岩倉城の家老・山内但馬守盛豊の二男としてこの地に誕生しました。大正8年(1919)2月、神明生田神社の遷座式で一枚の棟札が発見され、これが一豊の誕生地を示す有力な資料となり、山内家では史家の沼田頼輔文学博士に調査を行わせ、岩倉のこの地を一豊誕生の地と認めて、ここに贈従三位山内一豊公誕生地の碑を建てました。父・盛豊は岩倉城落城(永禄2年3月)のとき戦死し、一豊は15歳でした。その後、一豊は家臣の五藤浄基が供で母や弟妹とともに刈安賀の城主浅井新八郎政高の許に身を寄せ、しばらくして牧村政倫のもとに寄寓し、ついで山岡景隆に仕え、永禄10年(1567)〜元亀元年(1570)頃に織田信長に仕えました。天正13年(1585)には近江長浜で五千石の領主となり、同18年(1590)には遠州掛川に移封、六万石の領主となりました。秀吉の死後、徳川家康に味方し、慶長5年(1600)に四国土佐で二十万二千六百石の領主となり、高知城を築城しました。そして五年後の慶長10年(1605)9月20日、一豊没。享年六十一歳。(岩倉市教育委員会の案内板より要約)

山内一豊誕生地の案内板

岩倉市教育委員会の案内板。昭和49年(1974)に市の史跡に指定されたことも記されています。

棟札が誕生地の決め手になった

一豊の生まれた場所には、岩倉のほかに尾張の黒田(いまの一宮市木曽川町)とする説もあり、長いあいだはっきりしませんでした。それが大きく動いたのが、大正8年の神明生田神社の遷座式です。このとき見つかった棟札が、山内家が岩倉に住んでいたことを示す手がかりになり、山内家は歴史家の沼田頼輔に調べさせたうえで、この地を一豊の誕生地と認めて碑を建てました。土佐藩主の家がわざわざ調査をして碑を建てたことが、この場所の特別な重みになっています。

岩倉城の落城と、流浪の少年時代

一豊の父・盛豊が仕えた織田伊勢守家は、尾張の上四郡を治めた守護代の家で、岩倉城を本拠にしていました。永禄2年(1559)、尾張統一を進める織田信長に攻められて岩倉城は落ち、盛豊もこのとき亡くなったと伝わります。主家も父も失った15歳の一豊は、家臣の五藤浄基らに守られながら、母や弟妹とともに美濃や近江の武将のもとを転々としました。

のちに信長、秀吉に仕えて少しずつ出世し、長浜五千石、掛川六万石と領地を広げ、関ヶ原の戦いのあとに土佐一国を与えられて高知城を築きます。岩倉城を落とした信長の家臣として出世したことになり、そこに戦国の世の皮肉を感じます。一豊の生涯は山内一豊:苦労の末に土佐一国の城主となった戦国武将や関ヶ原の戦いの戦闘に参加しなくても出世した男に、長浜時代に起きた悲劇は山内一豊の娘・与祢と天正地震に書いています。

五条川沿いの山内一豊の説明板

五条川沿いに立つ岩倉市の説明板。一豊を「岩倉城主織田伊勢守の家老山内盛豊の第二子」と紹介しています。

『功名が辻』の放映記念碑

境内の近くには、平成18年(2006)のNHK大河ドラマ『功名が辻』の放映記念碑も立っています。一豊と妻・千代を主人公にしたドラマで、碑には山内家の家紋「三つ葉柏」が大きく彫られ、「山内一豊公出生のまち いわくら」と刻まれていました。

大河ドラマ功名が辻の放映記念碑

『功名が辻』の放映記念碑。上の丸い石に山内家の三つ葉柏の紋が彫られています。

神明生田神社のようす

神明生田神社は住宅地のなかにある神社で、参道の入口に「神明生田神社」の社号標と「山内一豊公生誕記念碑 神社境内にあります」という看板が立っているので、迷わずに行けます。誕生地の碑は拝殿の奥、大きな木の根元に据えられた石組みの上にあり、境内には一豊に関わる碑がいくつも建てられていました。

山内一豊誕生地の場所

【場所】愛知県岩倉市(神明生田神社境内)。岩倉城跡の近くにあります。

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回った順番や駐車場・トイレ、御城印・御朱印の情報はこちらの「5. 岩倉城跡と山内一豊誕生地」にまとめています。

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