印藤聿 宛

印藤聿 宛

原文

追白、先日より病気ニて引籠居候ま〃書付として呈しぬ。下の件ハ長々の御ものがたり申上候得バ、通常の手紙ニしてハ何分別りがたく候間、不文ニハ一ツ書の方がよろしかるべしとて申上たれバ、元より不敬の義御見ゆるしたまえ。第一段一、先日中三大夫関の方へ御帰りの時分なりと思ふが、内同薩の者より秘ニ承りたるにハ隊の者大夫の身上を大ニ論じ勢だしておりたるよし。猶秘ニ其故を聞ニ大夫は尤海軍ニ志を起され陸軍ニ御セ話無之との故のよし。其余の事ハ不分明、小弟思ふニ、三吉大夫が陸軍をおさめたまいし時ハ隊中一同皆報国の赤心を振起し、大夫の賢なるをかんじ居候よし也。

されバ今如此の事を聞くハ、定めて小人共私の頭上に其賢大夫のおらぬをうれたみ、ゆハゆる南面してせいすれバ北方うらむの儀ならんか。第二段今日不計も三吉老翁の来杖、幸ニ諸君の無異平安なるを伝聞相賀し申候。三大夫及大兄ニも三四日中ニニハ、御出関と承り御待申候。第三段上一段二段の事どもつら々案ずる所、彼竹島行の事ハ兼而御聞ニ入置候通り、三大夫ニも御聞ニ入レ申セしニ、随分御同心ニ候て、何レ近日二度ビ関ニ出候而決定可致との事なりし。其後ハまだニ御めニか〃らず、御返じを相待所ナリ。然ニ当今世上の人情目前の事斗でなけれバ、相談ハならぬ事故ニ諸人ハ竹島行の事共ハ、皆無用の事として大夫が遠大の策にハ随ふまじくか、然レバ其事ハ行ハれまじく残念の儀に相察し候。第四段小弟ハヱゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出ニ候間、何卒一人でなりともやり付申べくと存居申候。

其中助太夫事、別ニ小弟の志を憐ミ、且積年の思ひも在之、不屈して秘ニ志を振ひ居申候。然レバ先頃長崎ニて、大洲蒸気船ハ三月十五日より四月朔迄の間ニ借入の定約ハ相定め置たり。故、近日其期限も来るべし。第五段先日御耳ニ入レし時内々仰せられしニ、三慎ニあらざれバ自ら出行致したしと、小弟誠ニ幸也。然るニ上段の時勢なれバ、君等此地を足を抜事ハどふもむつかしかるべし。第六段此月の初より長崎ニ出、大洲の船の来るをまち申べしと思ふ内ニ、小弟先日中風けニて床ニおり候ものから、心ニまかせず彼是する内ニ、大洲の船と共に長崎ニ廻るよふニならんかと思ひおり候第七段大洲の船、石炭費用一昼夜ニ一万五千斤─故ニ二万斤の見込みナリ。─タネ油一昼夜ニ一斗、彼竹島ハ地図を以て側算すレば、九十里斗(ばかり)なるべし。先頃井上聞多、彼島ニ渡りし者ニ問しニ、百里ナリ、とおふかた同じ事ナリ。其島ニ渡る者の咄しニ楠木ニよく似てありしもの、広くハ新木在之、其外、壱里余より弐里もあらん平地ありしと也。島の流レハ十里斗なりと、小弟曽而長崎ニニて聞しニ何とも相似たる咄し也。是本一ツ所より出たる咄しならんかともうたがふ。─下の関ヨリ行テ下の関ニ帰ル─彼島ニ行て唯かへれバ三日のひまとるべし。但し下の関より。第八段元より断然船借入し上ハ、自然其儀ハ可在之候得ども、同心の人をつのるに道あれバ、三太夫及君立の止ルと不止トを此頃早々承りたし。

其故ハ御止メニなれバ又以前より約定セし兼而御聞ニ達セし人をつのらバやと存候。但シ金のつがふ斗ニ付てなり。もし御自身御出ニならずとも御同心の故を以て、其割ニ当ル金御出被遊れバ、小弟も外ニ人おつのるに及バず。第九段三大夫も思召立なく君立も御出なく─他人をつのらず─僕身を以て、此行を成シとぐるにハ又金が入候べし。今手本ニも少々ハあれども、相成事なれバ四百金十ケ月の期限ニて借入たし。御尽力相叶候ハゞ生前の大幸なり、宜願入候。第十段御頼申上度事ハ三大夫及君御召立がと〃なハずとも、山に登りてハ材木を見、木の名を正し、土地を見てハ稲及むぎ、山にてハくわの木はぜの木、其地ニ応じ候や否を見る者、一人海ニ入り貝類、魚類、海草などを見るもの。(■御セ話可被遣候やと頼申上度事ハ、此儀にて御座候。)上件小身ニ一生の思ひ出とし、良林及海中の品類よきものを得バ、人をうつし万物の時を得るをよろこび諸国浪生らを命じて是が地を開かすべしと、其余思千万ナリ。

以上稽首百拝ス。龍三月六日、ねられぬま〃筆をとりはべりぬ。印先生左右猶先日中ハ人丸赤人など時々相集り歌よみついに一巻とハなして、ある翁をたのみ其一二をつけしに飯立市となりたり。幸ニやつがれがうたハ第二とハなりぬ。其歌ハ、心からのどけくもあるか野べハなを雪げながらの春風ぞふく。その頃より引つゞき家主などしきりに歌よみ、ある人ハ書林にはしりなどしかゞニ候。御ひまあれバ御出かけ、おもしろき御事に候。其諸君の歌袋のちりなごりともなりしこと見へ、やつがれも時々三十一字を笑出し、ともニ楽ミ申候、今夜もふでをさしおかんとしけるニ歌の意、何共別りかねしが春夜の心ニて、世と共にうつれバ曇る春の夜を朧月とも人ハ言なれ先生にも近時の御作何卒御こし可被成や。先日の御作ハ家の主が、彼一巻の内ニハいたし候と相見へ申候。かしこ。

現代文

先日から病気なので引きこもってますのでこの手紙を書きます。下の件は、長い物語ですが、通常の手紙では何分わかりがたいと思いますので、箇条書きの方が宜しいかと思いますので、元よりご了承くださいませ。第一段一、先日長府藩家老三吉周亮が下関へお帰りかと思いますが、薩摩藩の者より極秘に聞いた話では隊の者は三吉周亮のことを大いに論じて勢い込んでいるようでございます。なお、この極秘のことは三吉周亮がもっとも海軍に力を入れ、陸軍には世話をしないからとのこと。詳しくは不明ながら、私が思うに三吉周亮が陸軍を指揮するようになれば隊内一同皆報国の心を奮起し、三吉周亮の賢さを感じ入ると思う。このような事を聞くに、定めて隊を指揮するものに三吉周亮のような者がいないのを憂う。南面を制すれば、北面うらむの義にはならんかな。(三吉が陸軍を指揮すれば今度は海軍が騒ぐことにならないか)

第二段今日ははからずも三吉周亮が来て、幸いにも諸君の無異平安(変わりなく平穏)なることを伝え聞いたという。三吉慎蔵及び、印藤聿も2・3・4日中には下関に来るとのこと待っているとのこと。第三段上の一段、二段、の事も案じるが、かの竹島行きの事はかねてからお耳に入れてある通り、三吉慎蔵にも話してあり、随分賛成してくれて、いずれ改めて下関で決めましょうとのことでした。しかし、その後お目にかかれてないので、お返事を待っているところです。ですが、当今は世の中の目前のことばかりで、相談は出来ないことなので、諸人は竹島行きのことは皆無用のこととしていて、三吉周亮の遠大の策には従えぬと言い、この事は実行できなくて残念な話と察しております。第四段私は蝦夷へ渡ろうとしていた頃から、新国を開くことは積年の思いで一生の思いなのです。何卒一人でもやりやりきる覚悟です。伊藤助太夫は私の志を憐れみ、且つ積年の思いもあるゆえ、秘めていた不屈の思いを披露してくれた。長崎で伊呂波丸を3月15日から4月1日までの間、借り入れる旨の定約を定めました。

それゆえ、近いうちにこの期限も来てしまう。第五段先日お耳に入れた内々の話ですが、三吉慎三が無理なら自らが出向きたいとのこと、私はまことに幸せです。しかし、このような時世なので貴方達がこの地を離れるのは大変難しいことと思う。第六段3月の初めから長崎に来て大洲藩の船が来るのを待つうちに、私は先日、中風(手足のしびれ)になり床に伏せっており自由に動けない状態でしたが、かれこれするうちに、大洲藩の船と共に長崎を巡りたいと思うようになりました。第七段大洲藩の船の石炭の費用は一昼夜で1万2千斤なので2万斤の見込みとなる。タネ油一昼夜に一斗、竹島は地図で推測すれば90里くらいです。井上聞多がこの島に渡った者に聞いたところ、100里ですというのでだいたい同じようです。島の流れは10里斗くらいと私はかつて長崎で聞いたがなんとも話が違うものです。この島に渡る者の話では、クスノキと良く似たものがあり、多くは新木である。この他、一里あまり、弐里あまりもあろう平地である。これに関する本はたった一ヶ所から出た話しをまとめただけの本かと疑う。下関から行って戻るまではまる3日はかかる。第八段もとより無理をしてでも船を借りたのは、もとよりの考えがあったからです。

他に賛同する人を募る道があるのであれば、三吉慎蔵君達の「やる」「やらない」の意見を早々に聞きたい。もし止めるのあれば、以前から約束している人々にもその旨伝え、賛同してくれる人を集めなければならない。ただし、お金の都合次第である。第九段三吉慎蔵も貴方達もこないのであれば、他人を集めず私一人で行くことになればまたお金が入用になる。今は手元に少々はあるけれども、もしそのようなことになれば、400金を10ヶ月の期限で借用したい。ご尽力頂けますと大変幸せにございます。第十段お頼み申し上げたことは三吉慎蔵君達の準備が整わない場合でも、山を登り木々を見て木の名前を記す者、土地を見ては稲や麦がこの地で育つか調べる者、山では鍬を持ってハゼノキ(櫨の木)を調べる者、海では、貝類、魚類、海草などを見る者を一人ずつ探してほしい。お世話を御頼みしたいのはこの内容となります。上記の件は私の一生のお願いでして、良い林を探し、海にも恵みがあればこの地に人を移すことは万物の時を得る喜びなのです。諸国の浪人らに命じてこの地を開墾するべしと、この思いが強いのです。以上龍馬3月6日寝られないまま筆をとってます。

印藤先生(長府藩士)なお、先日は柿本人麻呂、山部赤人などをときどき集まって詠み、ついに一巻くらいになりました。ある翁(老人)に頼んでこの一巻・二巻を付けようかと思っていたが飯立市(死亡)となりました。なので幸いにも私の歌は第二巻とはなりません。この歌は「心からのどけくもあるか野べハなを雪げながらの春風ぞふく」その頃から引き続き家主などはしきりに歌を詠み、ある人が書林(書物がたくさんある場所)になりそうだとのこと。お暇があれば、お出かけ下さい。面白いことですので。諸君の歌袋のチリ私も時々31字を笑いだし、ともに楽しんでいる。今夜も筆を動かそうとしているが歌の意味がわかりかねるのが春夜の心のようで、「世と共にうつれバ曇る春の夜を朧月とも人ハ言なれ」先生も近々お作りになってお越し下さいませ。先日の作品は家の主が、この一巻の中に入れました。

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

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坂本乙女 宛
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印藤聿 宛
池内蔵太家族 宛
印藤聿 宛
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坂本乙女 宛
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伊藤助太夫 宛
桂小五郎 宛
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伊藤助太夫 宛
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坂本乙女(姉) 宛
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桂小五郎 宛
河田佐久馬 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
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坂本春猪(姪) 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助大夫 宛
坂本乙女(姉) 宛
坂本乙女(姉) 宛
お登勢 宛
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三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
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三吉慎蔵 宛
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高柳楠之助 宛
高柳楠之助 宛
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伊藤助太夫 宛
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乙女・おやべ(姉 姪) 宛
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坂本権平(兄) 宛
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岡内俊太郎 宛
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佐佐木高行 宛
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佐佐木高行 宛
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佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
安岡金馬 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
長崎奉行 宛
陸奥宗光 宛
佐佐木高行 宛
桂小五郎 宛
渡辺弥久馬 宛
本山只一郎 宛
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後藤象二郎 宛
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