伊達政宗– tag –
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歴史ブログ
伊達政宗はなぜ仙台城に天守を建てなかったのか:六十二万石が選んだ「見せない権威」
この記事のポイント 仙台城には天守がない。焼けたのではなく、最初から建てられなかった 理由は「徳川への配慮」だけではない。断崖の地形と大広間という別の権威の見せ方が揃っていた 天守を持たない・再建しない城は各地にある。水戸城、相馬中村城、金... -
北海道・東北
岩出山城:伊達政宗が仙台城へ居城を移すまで本城とした岩出山城
【城名】 岩出山城 【岩出山城の説明】 岩出山城は、現在の宮城県大崎市にあった山城である。 伊達政宗が城に入る前は、足利一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉は「小田原征伐」を終えると「奥州仕置... -
北海道・東北
須賀川城:伊達政宗と交戦を繰り返した二階堂盛義の居城 須賀川城
【城名】 須賀川城 【須賀川城の説明】 須賀川城は福島県須賀川市にあった二階堂氏の平城である。 現在の二階堂神社付近に本丸があったとされている。 1399年(応永6年)、足利満兼が奥羽支配のために派遣した「足利満貞・足利満直」の配下にあった「二階... -
北海道・東北
大館城(飯野平城):戦国大名 岩城常隆が伊達政宗と渡り合った本城 大館城
【城名】 大館城(飯野平城) 【大館城(飯野平城)の説明】 大館城は福島県いわき市好間町にあった平山城である。 文明15年(1483年)戦国大名「岩城常隆」により築城されたと伝えられている。 常隆は近隣の蘆名氏・佐竹氏・相馬氏・田村氏・伊達氏と抗争... -
歴史ブログ
伊達政宗:関ヶ原の戦いから大阪の陣そして晩年(後編)
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:関ヶ原の戦いから大阪の陣そして晩年(後編) 関ヶ原の合戦が始まると政宗は上杉景勝の抑えとして背後を任されることになる。家康が西下する際に上杉軍が追撃出来ないよう牽制する大役を課せられたのである。 この時、政宗は... -
歴史ブログ
伊達政宗:摺上原の戦いから関ヶ原の戦いまで(中編)
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:摺上原の戦いから関ヶ原の戦いまで(中編) 政宗は奥羽最大の大名へと上り詰めていた。しかし、中央では豊臣秀吉が織田信長の覇権を継承しており、関東の北条氏政・氏直親子征伐のため準備を進めていた。 その際、政宗のもと... -
歴史ブログ
伊達政宗:出生から家督相続 摺上原の戦いまで(前編)
■ 日本の歴史ブログ 伊達政宗:出生から家督相続 摺上原の戦いまで(前編) 伊達政宗は永禄10年8月(1567年)に出羽国米沢城内で伊達輝宗の嫡男として生まれた。幼名は梵天丸。 伊達家では元服する際に名前の諱(いなみ)を代々将軍足利家から拝領すること... -
北海道・東北
米沢城:伊達政宗が誕生した城で関ヶ原の戦い後は直江兼続の居城となった米沢城
米沢城(松が岬公園)とは 山形県米沢市にある米沢城は、いまは松が岬公園として整備され、本丸跡に上杉神社が鎮座する城跡である。天守を持たない平城ながら、本丸をめぐる水堀と土塁が往時の姿をよく残している。独眼竜・伊達政宗が生まれた城として、ま... -
北海道・東北
仙台城(青葉城):伊達政宗が青葉山に築いた六十二万石の城と、天守を建てなかった理由
宮城県仙台市。仙台城——青葉城の名でも呼ばれるこの城には、六十二万石の大藩の居城でありながら、天守がない。 建てて焼けたのではない。最初から建てられなかったのである。 本丸を支える高石垣。この城でいちばん雄弁なのは、建物ではなく石垣である 青... -
北陸
高田城跡(上越市):石を一つも使わない七十五万石の城と、地震が削った二百五十七年
高田城とは 高田城は慶長十九年(1614)、徳川家康の六男松平忠輝が越後高田の菩提が原に築いた城である。石高は七十五万石(諸説あり)とされる大規模な近世城郭だった。 にもかかわらず、この城には石垣が一つもない。そして天守も建てられなかった。案... -
北海道・東北
一関城:伊達政宗の妻の実家田村氏(田村建顕)の居城 一関城
【城名】 一関城 【城の説明】 一関城は仙台藩の支藩として現在の岩手県一関市釣山にあった城である。建物は城というよりも館(陣屋)に近いものがあり、堀を巡らしてはいたが本丸に天守は造られなかった。戦国時代には葛西氏の所領だったが葛西氏が豊臣秀...
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