江尻城:長篠の戦いで山県昌景戦死のあと穴山信君が治めた江尻城【お城特集 日本の歴史】

江尻城/アクセス・場所・地図 長篠の戦いで山県昌景戦死のあと穴山信君が治めた江尻城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
江尻城

【江尻城の説明】
江尻城は静岡県静岡市清水区江尻町にあった平城である。
三河国の徳川氏への備えとして、永禄13年(1570年)甲斐の武田氏により築城された。

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巴川の水が引き入れられた水堀があり、その規模は大きなものだったようである。城の縄張りは「馬場信春」が行ったとされており、初代城主には信玄の側近「山県昌景」が任命されている。

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その後、信玄の死去により武田家の当主は「武田勝頼」が継ぎ、天正3年(1575年)5月には織田・徳川連合軍と間で「長篠の戦い」が勃発し、勝頼は大敗してしまう。この戦により多くの武田家重臣が戦死しているがその中に江尻城主「山県昌景」の姿もあった。

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昌景の死後、江尻城主に任命されたのは武田家親類衆で甲斐河内領主の「穴山信君」である。信君は家臣を江尻城へ呼び集め、城の拡張にも力を入れた。その後、勝頼の将来を見限った信君は織田・徳川家へ内通し天正10年(1582年)2月の「甲州征伐」の際には徳川軍に城を明け渡している。

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信君は本領安堵の朱印を信長よりもらい、家を保ったが同年「明智光秀」の謀反により織田信長は本能寺の変にて自刃してしまう。ちょうど本領安堵の御礼のため京都へ上っていた信君は混乱を極める中央から急いで帰国するがその途中で殺戮されてしまう。

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信君の死後、家督は「穴山勝千代(信治)」が継ぎ家康に庇護されていたが若くして病死し、穴山家は滅亡した。穴山家の滅亡に伴い、江尻城も廃城となった。現在の江尻城跡には「静岡市立清水江尻小学校」が建っており、周辺の市街化も進み城の遺構はほとんど残っていない。






【江尻城・場所・アクセス】
〒424-0818 静岡県静岡市清水区江尻町14-63

【江尻城地図】



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