【城名】
掛川城
【城の説明】
掛川城は現在の静岡県掛川市にあった城である。室町時代に遠江の国の守護職今川氏が家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが始まりとされている。その後今川氏による支配が続いたが、戦国時代に入ると甲斐の武田信玄・三河の徳川家康によって今川家は滅ぼされてしまった。

これにより駿河の国を武田家が、遠江の国を徳川家が領することになる。その後しばらくは家康の家臣「石川家成」が城代として任命されていたが、世の中が豊臣秀吉の天下になると家康は北条家が支配していた関東八州へ移封となる。

これに伴い家康の領地であった三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五ヶ国は秀吉恩顧の大名に振り分けられた。この時「掛川城主」5万石に任命されたのが後に土佐一国の太守となる「山内一豊」である。現在の城郭に整備したのは山内一豊時代とされている。
※二ノ丸御殿(再建)

江戸時代の掛川城主はめまぐるしく変わり、「久松氏」「青山氏」「松平氏」「本多氏」「松平氏」「北条氏」「井伊氏」「小笠原氏」へと移った。最後は「太田氏」が城主として明治維新を迎えている。明治時代になると「廃城令」が全国に発令され掛川城も破却された。現在の天守は木造で建立された珍しい「木造復元天守(三重四階)」であり、また、掛川城は日本100名城42番に選定されている。
日本初の木造復元天守
掛川城の天守は、平成六年(1994)に日本で初めて本格的な木造で復元された天守である。鉄筋コンクリートの復興天守が各地に建つなかで、山内一豊が築いた当時の工法にならって木で組み上げたこの試みは、その後の城郭復元の流れを変えた。中に入ると木の香りが立ちのぼり、階段は急で、窓からは遠州平野が広がる。

平成六年(1994)に日本で初めて本格木造で復元された天守

石段の上にそびえる天守。幟が城下の風に揺れる
大手門は平成七年(1995)の復元で、桝形の構えをそのまま再現している。そして城の東側に建つ二の丸御殿は、江戸末期の建物がそのまま残る現存御殿で、重要文化財に指定されている。全国でも四つしか残っていない貴重な御殿建築である。復元された天守と、本物の御殿。この二つが並んで見られるのが掛川城の面白さだ。

平成七年(1995)に復元された大手門

天守から見下ろす二の丸御殿。江戸末期の建物がそのまま残る重要文化財
掛川城の現地写真






【掛川城・場所・アクセス】
〒436-0079 静岡県掛川市掛川1138−24
【掛川城地図】

