真田十勇士は誰に仕えたのか|主君は安藤政信が演じる真田幸村(信繁) ─ 幸村自身は誰に仕え、本当の家臣は誰だったのか

三光神社の真田幸村公之像と真田の抜け穴
この記事のポイント
  • 真田十勇士が仕えたのは、真田昌幸の次男・真田幸村(信繁)です。物語の中で十勇士は、幸村を主君と仰ぐ家来として描かれます
  • その幸村自身は、父の昌幸のもとで育ったあと、人質として上杉景勝、ついで豊臣秀吉のもとに送られ、秀吉の家臣になりました。大坂の陣では、秀吉の子・豊臣秀頼の招きに応じて大坂城に入っています
  • 十勇士の物語は創作ですが、九度山まで信繁に付き従った家臣は実在します。高梨内記や青柳清庵といった人びとで、大坂入城のときには九度山周辺の地侍も加わりました
  • 岩本照さん主演のドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』では、主君の幸村を安藤政信さんが演じます。才蔵ら古くからの忍に、主を持たない佐助が新たに加わるという主従関係で描かれます

10月23日(金)よる11時15分から始まるドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』を前に、「十勇士はいったい誰に仕えていたのか」が気になっている人も多いのではないでしょうか。答えはひとことで言えば真田幸村(信繁)ですが、その幸村もまた、誰かに仕える身でした。この記事では、十勇士の主君・幸村と、幸村が仕えた主君たち、そして物語ではなく史実で幸村のそばにいた家臣たちを順にたどります。

真田氏本城跡
真田氏本城跡(長野県上田市真田町)。十勇士が仕えた幸村の真田家は、この真田郷から身を起こしました
目次

十勇士が仕えたのは真田幸村(信繁)

真田十勇士は、猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・海野六郎・筧十蔵・根津甚八・望月六郎・由利鎌之助の10人で、物語の中ではそろって真田幸村を主君と仰ぎます。十勇士を世に広めた大正時代の講談本「立川文庫」では、猿飛佐助は十五歳で幸村の家来になり、三好清海入道と諸国をめぐって徳川方の動きを探ったとされ、最後は大坂の陣で幸村とともに戦います。つまり十勇士は真田家全体の家来というより、「幸村ひとりに命を預けた家来たち」として描かれているのです(真田十勇士とは ─ 猿飛佐助・霧隠才蔵ら10人は実在した?)。

幸村の実名は信繁で、「幸村」という名前は江戸時代の軍記物や講談で広まった呼び名です。十勇士の物語も同じ流れの中で生まれたので、物語の主君は「幸村」、史実の人物は「信繁」と呼ぶのがわかりやすいでしょう(真田幸村(信繁)とは何者か)。

では、幸村(信繁)自身は誰に仕えたのか

十勇士の主君である信繁も、生涯のあいだに何人もの主のもとで過ごしました。順に並べると次のようになります。

時期 仕えた相手 どんな立場だったか
若いころ 父・真田昌幸 昌幸の次男として真田家で育つ
天正13年(1585)ごろ 上杉景勝 父が上杉に従った証として、越後へ人質に送られる
天正14年(1586)ごろ〜 豊臣秀吉 秀吉のもとへ移り、大坂で暮らす。のちに秀吉の家臣として官位も受ける
慶長5年(1600) 父・昌幸とともに豊臣方(西軍) 関ヶ原の戦いで上田城に籠もり、徳川秀忠の大軍を足止めする
慶長5年〜19年 主君なし 紀伊の九度山に流され、十四年を過ごす
慶長19年(1614)〜 豊臣秀頼 秀頼の招きに応じて大坂城に入り、冬の陣・夏の陣を戦う

信繁が若いころに上杉家へ送られたのは、第一次上田合戦の前後、父の昌幸が徳川と手を切って上杉景勝についたときのことです(真田昌幸とは|「表裏比興の者」と呼ばれた知将)。その後、真田家が秀吉に従うと、信繁は大坂の秀吉のもとへ移り、豊臣家の中で青年期を過ごしました。秀吉の重臣・大谷吉継の娘を妻に迎えたのもこのころで、信繁にとって豊臣家は、単なる主家というより自分が育った家でもあったのです。

上田城跡の東虎口櫓門
上田城跡の東虎口櫓門(長野県上田市)。関ヶ原の戦いのとき、信繁は父の昌幸とともにこの城に籠もりました

関ヶ原の戦いで西軍が敗れたあと、信繁は父とともに九度山に流され、主君を持たない身になりました。そして十四年後、豊臣家と徳川家の対立が決定的になると、秀頼からの誘いを受けて九度山を抜け出し、大坂城に入ります(大坂の陣(冬・夏)をわかりやすく解説)。十勇士が幸村に仕え、幸村が秀頼に仕える ─ 物語の上では、十勇士は豊臣家を守るために戦った家来、ということになります。

九度山の信繁に、家来を養う力はあったのか

物語の幸村は、十人の勇士を従えた主君として描かれますが、九度山の信繁の暮らしは苦しいものでした。領地を取り上げられた流人の身で、家来に禄(給料)を与える力はなく、生活費の多くを兄の信之からの仕送りや借金に頼っていたとされ、信之に宛てて、まとまったお金を送ってほしいと頼んだ手紙も伝わっています。十人もの豪傑を家来として抱えておけるような状況ではなかった、というのが史実の九度山ですが、それでも信繁のもとを離れなかった家臣がいました。ここが、十勇士の物語と史実がいちばん近づくところかもしれません。

史実で信繁に付き従った家臣たち

九度山へ付き従った家臣として名前が知られているのが、高梨内記と青柳清庵(春庵とも)です。高梨内記は信繁の側室の父にあたる人物で、主従であると同時に身内でもありました。妻や子どもたちも九度山でともに暮らし、嫡男の大助(幸昌)はこの地で育っています。

慶長19年(1614)に信繁が大坂城へ向かったときには、九度山周辺の地侍や高野山ゆかりの人びとも加わったと伝わり、九度山を発った者たちが途中で合流して、全体で数百人ほどの一団になって大坂城へ入ったとする見方もあります。十勇士のような忍びの名人ではありませんが、流人となった信繁を見捨てず、負けると分かっている戦いにまでついて行った人びとが、たしかにいたのです。

▽ よく語られる話
九度山の幸村のもとには、猿飛佐助や霧隠才蔵ら十勇士がひそかに集まり、徳川の目を盗んで出入りしていた。
▼ 史実ではこうです
九度山の信繁を見張っていたのは、紀伊を治める浅野家でした。信繁のもとに忍びの家来が出入りしていたことを示す同時代の史料はなく、十勇士の活躍は物語の中の出来事です。史料で確かめられるのは、高梨内記らわずかな家臣と家族が、信繁とともに九度山で暮らしていたことです。

ドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』の主従関係

ドラマでは、主君の真田幸村を安藤政信さん、嫡男の真田大助を城桧吏さんが演じます。九度山で息をひそめる幸村のもとには、霧隠才蔵(中川大志さん)ら真田家への忠義を誓う忍たちがいて、そこへ主を持たずに盗みで生きてきた猿飛佐助(岩本照さん)が加わる、という形で物語が始まります。第1話では、師の白雲斎(唐沢寿明さん)が残した「九度山へ向かえ」という言葉に導かれて、佐助が幸村のもとを訪ねます。

幸村が仕える豊臣方としては、淀殿を栗山千明さん、大野治長を和田正人さん、織田有楽斎を西岡徳馬さんが演じ、対する徳川方は、徳川家康を内藤剛志さん、徳川秀忠を佐藤龍我さん、服部半蔵を中村獅童さんが演じます。主を持たなかった佐助が、誰のために戦う忍になっていくのかが、ドラマの大きな見どころになりそうです。

あわせて読みたい:真田昌幸と幸村はなぜ九度山に流されたのか

よくある疑問

Q. 真田十勇士は誰に仕えましたか?
A. 真田昌幸の次男・真田幸村(信繁)です。物語の中で、十勇士はそろって幸村を主君として仕えます。

Q. 真田幸村は誰に仕えましたか?
A. 父の昌幸のもとで育ったあと、人質として上杉景勝、ついで豊臣秀吉のもとに送られ、秀吉の家臣になりました。関ヶ原のあとは九度山で主君を持たずに過ごし、大坂の陣では豊臣秀頼のために大坂城へ入りました。

Q. 十勇士は真田昌幸や真田信之にも仕えたのですか?
A. 物語の十勇士は幸村の家来として描かれ、昌幸や信之の家来としては描かれないのがふつうです。兄の信之は関ヶ原で徳川方につき、松代藩主として真田家を残しました。

Q. 史実で真田信繁に仕えた家臣はいましたか?
A. 九度山まで付き従った高梨内記や青柳清庵(春庵とも)などが知られています。大坂城へ入るときには、九度山周辺の地侍らも加わったと伝わります。

Q. ドラマで真田幸村を演じるのは誰ですか?
A. 安藤政信さんです。嫡男の真田大助は城桧吏さんが演じます。

まとめ

真田十勇士が仕えたのは真田幸村(信繁)で、その幸村は父の昌幸、上杉景勝、豊臣秀吉と主を替えながら育ち、最後は秀吉の子・秀頼のために大坂城で戦いました。十勇士そのものは物語の中の家来ですが、流人となった信繁に九度山まで付き従った家臣や、大坂城へともに向かった人びとは実在します。十勇士の物語は、そうした名もなき家来たちの姿を、忍術と豪傑の物語に描き直したものといえるのかもしれません。

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