龍野城:赤松広秀から蜂須賀正勝(小六)の居城へ 幕末時は脇坂氏が治めた龍野城【お城特集 日本の歴史】

龍野城:赤松広秀から蜂須賀正勝(小六)の居城へ 幕末時は脇坂氏が治めた龍野城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
龍野城

【城の説明】
龍野城は兵庫県たつの市龍野町にある城である。別名を「霞城」とも呼ばれている。

龍野城:赤松広秀から蜂須賀正勝(小六)の居城へ 幕末時は脇坂氏が治めた龍野城【お城特集 日本の歴史】

明応8年(1499年)塩屋城の「赤松村秀」が龍野の地に鶏籠山城を築いたのが龍野城の始まりと言われている。以後、赤松政秀、広貞、広秀と続いたが、天正5年(1577年)に羽柴秀吉の中国地方平定戦により攻撃を受けて開城し、秀吉はあらたに重臣の「蜂須賀正勝(小六)」を5万3000石でこの地に配した。

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赤松広秀は蜂須賀正勝の配下となった。天正13年(1585年)蜂須賀氏が阿波徳島に加増転封されると「木下勝俊」「小出吉政」と城主が入れ替わった。その後、一時期は豊臣家の直轄領となっていたとされる。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後は、播磨のほとんどが「池田輝政」の所領となり、龍野城は池田氏の勢力下に置かれ、家老の荒木但馬守が城代となった。

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元和3年(1617)になると本多政朝が龍野城に入封し、龍野藩が成立した。その後、小笠原長次、岡部宣勝、京極高和と城主が代わり、京極氏が讃岐丸亀に移った後は一時期天領となった。

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万治元年(1658年)京極高和の丸亀転封の際に龍野城は破却されたが、1672年「脇坂安政」が信濃飯田より新たに城主として入封すると龍野城は再建されることになる。この時、山頂の郭は放棄され山麓居館のみの陣屋形式の城郭になった。以後明治維新まで脇坂氏(5万石)が城主として代々居城することになる。

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現在、本丸(山麓部)には復元された櫓門・二層隅櫓(模擬)・多聞櫓・本丸御殿が建てられている。龍野城の城下町には武家屋敷や商家、寺町と昔ながらの風情を今に残している。






【龍野城・場所・アクセス】
〒679-4179 兵庫県たつの市龍野町上霞城128-1

【龍野城地図】



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