松井田城:北条征伐では北条家重臣大道寺政繁が3ヶ月も籠城戦を展開した松井田城【お城特集 日本の歴史】

松井田城/アクセス・場所・地図 北条征伐では北条家重臣大道寺政繁が3ヶ月も籠城戦を展開した松井田城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
松井田城

【松井田城の説明】
松井田城は群馬県安中市松井田町高梨子にあった戦国時代の山城である。
築城時期は明確ではないが永禄元年(1560年)頃と言われており、この地を治めていた安中氏の一族によって築かれた。

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長享元年(1487年)に「安中忠親」が城主としての記録があり、その後松井田諏訪氏の居城となった。戦国時代に入ると再び安中氏の居城となり、西から侵攻してくる武田信玄への抑えの城として安中城が築かれた。

この時期の当主である「安中忠政」は安中城に嫡男の「安中忠成」を入れて自身は松井田城を居城とした。永禄7年(1564年)、武田信玄の西上野侵攻に伴い「松井田城」は開城し、武田方のものとなった。一方、安中城の「安中忠成」はいち早く信玄に降伏し、その所領を安堵された。

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松井田城には「小山田虎満・昌成」父子が入城し城を拡張した。その後、天正3年(1575年)の「長篠の戦い」にて、安中城の安中忠成は戦死し、天正10年(1582年)の「織田信忠」による高遠城の攻撃にて小山田昌成が戦死した。

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この戦で武田氏が滅亡すると上野国は信長の重臣「滝川一益」に与えられ、松井田城には津田秀政が入城した。同年、本能寺の変にて信長が明智光秀により討たれるとすぐさま北条氏が攻勢に出て、松井田城を占拠し一益や秀政は関東から退いた。

北条氏直は松井田城代に「大道寺政繁」を任命し、政繁はさらに城を改修し拡張した。これが現在の松井田城の遺構のもとになっている。天正17年(1589年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」が起こると、松井田城には前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの軍勢が押し寄せた。

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大道寺政繁は籠城すること3ヶ月、耐えに耐え抜いたが最後は降伏・開城し松井田城は廃城となった。現在、城の遺構として土塁、虎口、堀切、石垣などが残っている。






【松井田城・所在地・アクセス】
〒379-0215 群馬県安中市松井田町高梨子

【松井田城マップ】



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