小田城:戦国時代佐竹義重・上杉謙信と激しく争った小田氏治の居城 小田城【お城特集 日本の歴史】

小田城/アクセス・場所・地図 戦国時代佐竹義重・上杉謙信と激しく争った小田氏治の居城 小田城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
小田城

【小田城の説明】
小田城は現在の茨城県つくば市にあった平城で国の史跡として指定されている。
鎌倉時代から室町時代、戦国時代にかけて小田氏の居城で、築城時期は八田知家が文治元年(1185年)に常陸守護に任命された時と伝えられている。

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戦国時代の当主「小田氏治」は近隣の真壁氏・佐竹氏・多賀谷氏、そして上杉謙信らと抗争を繰り返した。のちに北条氏と手を組んだ氏治は天正元年(1573年)、手這坂の戦いに敗れ小田城は落城し反北条方の「佐竹義重」が支配した。

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そして、小田城を追われた氏治は家臣の菅谷氏の居城「土浦城」へと退去した。

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次いで「太田資正」が小田城主になり、のちにその子「梶原政景」が城主になった。その後は佐竹氏の一族「小場義宗」が城主になったが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで旗幟を鮮明にしなかった「佐竹義宣」は徳川家康から快く思われておらず、慶長七年(1602年)秋田(久保田城)へ移封となった。

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小田城は佐竹氏の移封と同時に廃城になったと言われている。






【小田城・場所・アクセス】
〒300-4223 茨城県つくば市小田1197-20

【小田城地図】



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