上杉謙信– tag –
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関東・甲信
大峰城跡(長野市):善光寺の裏山に並んだ城のひとつと、「謙信の拠点」の確かさ
大峰城(おおみねじょう)は、善光寺の裏手にそびえる大峰山に築かれた山城です。武田と上杉が北信濃を奪い合った時代、この山のまわりには旭山城、葛山城、髻山城といった城が並び、たがいににらみ合っていました。大峰城もその一つです。城跡には白壁の... -
北陸
栃尾城:上杉謙信が幼少期を過ごし跡目相続の初陣の場となった栃尾城
【城名】 栃尾城 【栃尾城の説明】 栃尾城は新潟県長岡市栃尾町にあった城です。 別名「舞鶴城」「大野城」とも呼ばれており、標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城です。 築城時期は不明だが戦国時代初期には上杉氏に属していた本庄氏が治め... -
関東・甲信
膳城:上杉謙信・北条氏政・武田勝頼の争いの場となった膳氏の居城 膳城
【城名】 膳城 【膳城の説明】 膳城は群馬県前橋市粕川町膳にあった丘城の城である。 三善康信の子孫という善氏により築城され、その時期は不明だが長享元年(1487年)には既に存在していた。 文明12年(1480年)、佐野昌綱の攻撃を受けて一度は落城するも... -
北陸
春日山城跡:山ひとつが城だった上杉謙信の居城と、屋敷跡に残る普請の年輪
春日山城とは 春日山城は、上杉謙信の居城である。天守はない。石垣もほとんどない。山そのものが城だった。 標高約180メートルの春日山の尾根と斜面に、無数の曲輪と屋敷が刻まれている。本丸から毘沙門堂を経てお花畑に至る中心部を、案内板は「実城(み... -
関東・甲信
唐沢山城:上杉謙信を何度も撃退した関東随一の山城で佐野昌綱の居城 唐沢山城
【城名】 唐沢山城 【唐沢山城の説明】 唐沢山城は栃木県佐野市富士町と栃本町にまたがる山城である。 治承4年(1180年)奥州藤原家9代俊綱の弟「成俊」がこの地にもともとあった城跡を改修し、初めて佐野氏を名乗ったとされている。成俊は30年あまりもの... -
日本100名城
金山城跡(太田金山城):関東の山城観をくつがえした石垣と石敷きの大手虎口
関東の山城は土でできている。長いあいだ、それが常識でした。ところが群馬県太田市の金山城を発掘したところ、石垣が出てきます。それも部分的な補強ではなく、通路を石で敷き、虎口の左右を石で固め、山上の池まで石で囲った、全面的な石の城でした。関... -
関東・甲信
前橋城(厩橋城):上杉謙信や武田信玄・北条氏政らが争った北条高広の居城 厩橋城
【城名】 厩橋城(前橋城) 【厩橋城(前橋城)の説明】 前橋城(厩橋城)は群馬県前橋市にあった平城である。前橋城と呼ばれるが古くは厩橋城と呼ばれており関東七名城の一つに数えられた。 室町時代中期、箕輪城の長野氏の支城として石倉城が築城された... -
関東・甲信
小田城跡(つくば市):小田氏十五代の本拠と北畠親房 筑波山の天狗党挙兵
小田城とは 茨城県つくば市小田にある小田城は、筑波山の南西麓に築かれた平城で、鎌倉時代から戦国時代まで、およそ四百年にわたって常陸国南部を治めた小田氏十五代の本拠だった。土塁と堀で方形に囲んだ本丸を中心に、南北五百五十メートル・東西四百五... -
北陸
七尾城跡:上杉謙信が一年攻めあぐねた五大山城と、内側から開いた門
七尾城は、能登の守護だった畠山氏が石動山系の尾根に築いた巨大な山城です。城域は南北およそ二・五キロ、東西およそ一キロにおよび、月山富田城や観音寺城と並んで日本五大山城に数えられてきました。この城が知られているのは、上杉謙信が一年近く攻め... -
北陸
魚津城:椎名康胤が上杉謙信に離反して落城した松倉城の支城 魚津城
【城名】 魚津城 【城の説明】 魚津城は富山県魚津市にあった平城で戦国時代には椎名康胤の治めていた城である。 椎名氏は上杉氏に従っており魚津城は松倉城という山城の支城であった。 ところが「椎名康胤」は甲斐・信濃を征服した武田信玄に寝がえった。... -
歴史ブログ
川中島の戦い(後編):上杉謙信と武田信玄の大合戦 啄木鳥の戦法(後編)
【合戦名】 川中島の戦い 【説明】 戦国史上あまりにも有名な川中島の戦い “後編” をご紹介させて頂きます。前編では武田軍に悟られないように上杉謙信が妻女山を降りてきたところで終わりました。 十日朝、武田本隊の目の前に突如上杉軍一万三千が陣取っ... -
歴史ブログ
川中島の戦い(前編):上杉謙信と武田信玄 戦国史に残る大合戦
【合戦名】 川中島の戦い 【説明】 甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の覇権を争って激突した合戦が川中島の戦いです。合計五回の戦いが行われており、中でも永禄四年(1561年)九月の第四次は激烈な戦闘となった。 上杉軍は八月十六日、五千の兵を...
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