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近畿
雑賀城:鈴木佐大夫・雑賀孫一が織田信長や豊臣秀吉に激しく抵抗した鉄砲集団の雑賀城
【城名】 雑賀城 【雑賀城の説明】 雑賀城は和歌山県和歌山市和歌浦付近にあったお城で別名「妙見山城」とも呼ばれている。 鉄砲衆で有名な雑賀孫一の父「鈴木佐大夫(雑賀重意)」が妙見山山頂付近の千畳敷(台状地)に居館を築いたのが始まりである。 こ... -
北陸
七尾城跡:上杉謙信が一年攻めあぐねた五大山城と、内側から開いた門
七尾城は、能登の守護だった畠山氏が石動山系の尾根に築いた巨大な山城です。城域は南北およそ二・五キロ、東西およそ一キロにおよび、月山富田城や観音寺城と並んで日本五大山城に数えられてきました。この城が知られているのは、上杉謙信が一年近く攻め... -
関東・甲信
宇都宮城址公園:宇都宮氏五百年と本多正純の釣天井伝説 復元された富士見櫓
宇都宮城とは 栃木県宇都宮市本丸町にある宇都宮城は、関東平野の北の縁、田川のほとりに築かれた平城である。平安時代末から戦国時代の終わりまで、およそ五百年にわたって下野を治めた名門・宇都宮氏の居城であり、江戸時代には日光へ向かう将軍の宿城と... -
北陸
魚津城:椎名康胤が上杉謙信に離反して落城した松倉城の支城 魚津城
【城名】 魚津城 【城の説明】 魚津城は富山県魚津市にあった平城で戦国時代には椎名康胤の治めていた城である。 椎名氏は上杉氏に従っており魚津城は松倉城という山城の支城であった。 ところが「椎名康胤」は甲斐・信濃を征服した武田信玄に寝がえった。... -
四国
徳島城跡:阿波青石で積まれた石垣と、上田宗箇がつくったと伝わる庭
徳島城の石垣は、青い色をしています。阿波青石と呼ばれる緑色片岩を積んでいるからで、雨に濡れるとその青みがさらに濃くなります。城を築いたのは蜂須賀家政。秀吉の四国攻めの恩賞として阿波一国を与えられ、吉野川の河口に近い渭山(いのやま)とその... -
東海
大河内城跡(松阪市):五十日の籠城と、養子縁組で終わった北畠氏
大河内城(おおかわちじょう)は、伊勢の国司・北畠氏の城です。織田信長の伊勢攻めにあたり、北畠具教・具房の父子がここに籠もり、五十日ほど持ちこたえました。決着は力攻めではなく、信長の次男を養子に迎えるという形の講和です。家を残したように見... -
東海
小牧山城跡:仮の城ではなかった ― 発掘で現れた石垣と直線の大手道
小牧山城(こまきやまじょう)は、織田信長が清洲から本拠を移して築いた城です。美濃攻めのための一時的な城と長く見られてきましたが、発掘調査によって、山上に石垣が築かれ、まっすぐな大手道が通され、麓に碁盤目の城下町が整えられていたことがわか... -
四国
能島城:村上源氏の末裔で村上水軍を率いた村上武吉の水軍城 能島城
【城名】 能島城 【城の説明】 能島城は村上源氏の当主「村上武吉」が率いる瀬戸内海の村上氏の居城である。もともとは伊予河野家との繋がりが深いが戦国時代に入ると半独立した形の存在であった。 毛利元就がまだ弱小で「陶晴賢」と厳島の戦いでは最後の... -
近畿
多聞山城跡(多門山城・奈良市):十七年で壊された城と、全国に残った「多聞櫓」という名
この記事のポイント 多聞山城(多門山城)は松永久秀が奈良に築いた城で、石垣・瓦・白壁を備えた当時としては先進的な城だった 石垣の上に長く連なる櫓を「多聞櫓」と呼ぶのは、この城の名から来ている 城が建っていたのは十七年ほど。信長の命で壊され、... -
近畿
信貴山城跡(平群町):山上に四階櫓が建っていた大和最大の山城と、松永久秀の最期
この記事のポイント 信貴山城は松永久秀が大和最大級に築き直した山城で、多聞山城と対になる拠点だった 四階建ての櫓が建っていたと伝わり、安土城の天主より早い高層建築の例とみる見方がある 久秀は二度目の離反のあと、この城で最期を迎えた いまは朝... -
東海
野田城:今川家や武田信玄に攻められ2度の降伏をした菅沼定盈の野田城
【城名】 野田城 【城の説明】 野田城は愛知県新城市にあり戦国時代初期に菅沼氏によって築かれた。 本丸、二の丸、三の丸があり、天然の要害として知られていた。 もともと今川氏に従っていた「菅沼定盈」は桶狭間の戦い後に離反するが、同時に今川軍に攻... -
日本100名城
篠山城跡:藤堂高虎が六か月で仕上げた三つの馬出と、ついに建たなかった天守
篠山城は、関ヶ原の戦いが終わったあとに徳川家康が命じて築かせた城です。目的ははっきりしていて、大坂城にまだ健在だった豊臣家と、西国の外様大名を押さえこむこと。縄張は築城の名手・藤堂高虎が引き、工事は西国二十家ほどの大名に自腹でやらせる天... -
近畿
茨木城:猛将中川清秀は賤ヶ岳の戦いで戦死 中川家が治めた茨木城
【城名】 茨木城 【城の説明】 茨木城はもともとは茨木氏の城であったが、摂津の国で和田惟政と荒木村重・中川清秀との間で戦が勃発した際に戦いに敗れ「茨木重朝」は討ちとられてしまう。 その後、荒木村重が摂津の国を治めると茨木城は「中川清秀」が城... -
関東・甲信
烏山城跡:那須氏が築いた五城三郭の山城と、土の城に残る石垣
栃木県那須烏山市にある烏山城跡は、那須氏が二百年近く本拠とした山城です。東西約三百七十メートル、南北約五百十メートル、範囲はおよそ四十六ヘクタール。五城三郭と呼ばれる曲輪群が山をまるごと覆っています。土を削って築いた中世の城でありながら... -
日本100名城
駿府城跡:家康が三度暮らした城と、隠居城と呼ばれながら江戸と並んだ大御所の政庁
静岡市の中心に残る駿府城跡は、今川氏の館に始まり、徳川家康が三度にわたって身を置いた城です。少年時代を人質として過ごし、武田氏の滅亡で駿河を手に入れて城主となり、さらに将軍職を息子に譲ったあと、大御所としてここへ戻ってきました。隠居の城... -
関東・甲信
葛尾城跡(坂城町):信玄を二度破った村上義清が、それでも城を捨てた理由
葛尾城は千曲川を見下ろす標高八百メートルの山上にあり、北信濃で最大の勢力を誇った村上義清の居城でした。義清は上田原と砥石で武田晴信を二度も打ち破っています。それでも最後には城を捨てて越後へ落ち、上杉謙信を頼りました。負けたのは戦ではなく... -
東海
加納城跡(岐阜市):岐阜城を壊して築かれた平城と、天守が建たなかった天守台
加納城(かのうじょう)は、関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康の命で築かれた美濃の平城です。山上の岐阜城が廃され、その資材が運び下ろされて使われました。最初に城主となったのは家康の娘婿・奥平信昌です。本丸には天守台が築かれながら、天守は建てられ... -
中国
鹿野城跡(鳥取市):堀に桜が映る亀井茲矩の城と、関ヶ原より二十年早い入城
鹿野城(しかのじょう)は、因幡の西部、鳥取市鹿野町にあった平山城です。城主として知られるのは亀井茲矩で、尼子再興軍に身を投じた武将のひとりでした。城山の裾を二重の堀がめぐり、今もその水面が残ります。茲矩は城だけでなく町と用水を整え、鹿野... -
九州・沖縄
琉球のグスク:今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城 ― 本土より百年早く積まれた曲線の石垣とアーチ門
沖縄には「城」と書いてグスクと読む石積みの遺構が、大小あわせて三百か所ほど残っています。今帰仁(なきじん)、座喜味(ざきみ)、勝連(かつれん)、中城(なかぐすく)。いずれも本土でいう戦国時代よりさらに前、室町のはじめごろにはもう高い石垣... -
関東・甲信
花輪城跡(流山市):小金城の高城氏が置いた支城と、北条の他国衆という立場
流山市の江戸川沿いに、花輪城址公園という小さな公園があります。戦国のころ、ここには小金城を本拠とする高城氏の支城が置かれていました。天守も石垣もなく、いまも見えるのは台地の縁と草地だけですが、発掘では空堀と犬走りの跡が確かめられ、陶磁器...
