タグ:支藩
-
若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩)/池田家2万石:池田徳定 禁門の変では幕府軍として戦うも戊辰戦争では鳥取藩と共に新政府に従った若桜藩【幕末維新写真館】
【藩名】 若桜藩(鳥取藩支藩、鳥取西館新田藩) 【説明】 若桜藩は鳥取西館新田藩ともいい、鳥取藩の第2代藩主「池田綱清」が元禄13年(1700年)5月25日に弟の「池田清定(池田光仲の四男)」に新田1万5000…詳細を見る -
彦根新田藩(彦根藩支藩)/井伊家1万石:井伊直定 井伊彦根藩宗家を継いだため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 彦根新田藩(彦根藩支藩) 【説明】 彦根新田藩は江戸時代中期の正徳4年(1714年)より享保19年(1734年)まで存した藩である。井伊直興の14男「井伊直定」が1万石を分与され立藩された。享保17年…詳細を見る -
久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久居藩(津藩支藩) 【説明】 寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築…詳細を見る -
大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣新田藩(大垣藩支藩) 【説明】 明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田4,000石を加増されて6,200石の知行を得た。その後、「戸田氏利」が…詳細を見る -
高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を…詳細を見る -
奥仁科藩(松本藩支藩)/石川家1万5千石:石川康勝 大久保長安事件に連座して改易された松本藩と奥仁科藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥仁科藩(松本藩支藩) 【説明】 「石川数正」の死後、家督は長男「石川康長」が継いだが、康長は所領のうち1万5千石を弟の「石川康勝」に、5千石を「石川康次」にそれぞれ分与した。康勝はこの分与により奥仁…詳細を見る -
高井藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義行 領地換えにより高須藩が立藩されて廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高井藩(尾張藩支藩) 【説明】 尾張徳川家の第2代当主徳川光友の次男「松平義行」は、天和元年(1681年)8月13日に信濃国伊那郡・高井郡・水内郡内において父より3万石を分与され、高井藩を立藩した。義…詳細を見る -
埴科藩(松代藩支藩)/真田家1万7千石:真田信重 嗣子がないことで松代藩に吸収され廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 埴科藩(松代藩支藩) 【説明】 松代藩主「真田信之」の次男の「真田信政」が、慶長17年(1622)年に1万7千石を分与さ埴科藩が立藩した。寛永16年(1639年)6月、信政が上野国沼田藩へ移封されると…詳細を見る -
大聖寺新田藩(大聖寺藩支藩)/前田家1万石:前田利昌 将軍綱吉葬儀中に柳本藩主織田秀親を殺害し改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大聖寺新田藩(大聖寺藩支藩) 【説明】 元禄5年(1692年)、大聖寺藩の第2代藩主「前田利明」が死去し、その跡を三男「前田利直」が継いだ。このとき、利直は弟の「前田利昌」に1万石を分与し大聖寺新田藩…詳細を見る -
沢海藩(新発田藩支藩)/溝口家1万石:溝口政親 素行の悪さから改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 沢海藩(新発田藩支藩) 【説明】 沢海藩の藩祖は新発田藩藩祖「溝口秀勝」の次男「溝口善勝」である。善勝は秀勝に早くから5000石を与えられ、慶長14年(1609年)には幕府から上野国内に2000石を与…詳細を見る -
糸魚川藩/松平家1万石:松平直静 越前福井藩の支藩【幕末維新写真館】
【藩名】 糸魚川藩 【説明】 第7代藩「松平直廉」は「安政の大獄」で家督を追われた「松平慶永」に代わって越前松平家(宗家)を継ぐこととなる。このため、糸魚川藩には播磨明石藩から「松平直静」が第6代藩主「松平直春…詳細を見る -
三根山藩(長岡藩支藩)/牧野家1万1千石:牧野忠泰 宗家長岡藩の落城により恭順【幕末維新写真館】
【藩名】 三根山藩(長岡藩支藩) 【説明】 幕末の1863年(文久2年)、三根山藩主「牧野忠泰」は開墾した新田分5千石を新たに打ち出し、高直しにより11,000石となり「三根山藩」を立藩した。三根山藩は「参勤交…詳細を見る -
三日市藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢徳忠 新発田藩と共に新政府軍へ協力した三日市藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三日市藩(郡山藩支藩) 【説明】 幕末期、三日市藩は外国船の到来に備えて「軍備増強」に多額の経費を投入した上、幕府から新潟港や青山海岸、江戸飛鳥山近辺の警備を命じられた。さらに第8代藩主「柳沢徳忠」の…詳細を見る -
黒川藩(郡山藩支藩)/柳沢家1万石:柳沢光邦 会津藩の誘いを受け奥羽越列藩同盟に加わるも消極的だったため家名を存続した黒川藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒川藩(郡山藩支藩) 【説明】 第7代藩主「柳沢光昭」は黒川陣屋内に藩校「弘道館」を設け、藩士の子弟教育に務めた。黒川藩は歴代藩主のほとんどが「江戸定府」であったため参勤交代がなかった。そんな中、文久…詳細を見る -
荻野山中藩(小田原藩支藩)/大久保家1万3千石:大久保教義 倒幕派浪士隊により陣屋を襲撃された山中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 荻野山中藩(小田原藩支藩) 【説明】 荻野山中藩は小田原藩大久保家の支藩である。天明3年(1783年)に駿河国松長藩主「大久保教翅」が陣屋を山中に移し立藩した。 慶応4年(1868年)「徳川家達…詳細を見る -
高滝藩(信濃国坂木藩支藩)/板倉家2万石:板倉重高 備中庭瀬藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高滝藩(信濃国坂木藩支藩) 【説明】 天和3年(1683年)、信濃坂木藩5万石の藩主「板倉重種」の甥である「板倉重宣」が重種から2万石を分与され「高滝藩」が立藩した。所領は上総市原郡のほか、信濃伊那郡…詳細を見る -
大多喜新田藩(大多喜藩支藩)/阿部家1万6千石:阿部正春 本藩へ吸収されたため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大多喜新田藩(大多喜藩支藩) 【説明】 大多喜新田藩は慶安4年(1651年)、「阿部重次」が将軍家に殉死した後、その遺領である9万9000石と家督を嫡子「阿部定高」が継いだ。このとき、弟の「阿部正春」…詳細を見る -
常陸府中藩(水戸藩支藩)/松平家2万石:松平頼策 幕末時は目立った動きもなかった常陸府中藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸府中藩(水戸藩支藩) 【説明】 元禄13年(1700年)、「徳川頼房」の五男「松平頼隆(保内藩主)」が幕府から新たに常陸・陸奥国内において2万石を加増されたため、府中に陣屋を築き府中藩を立藩する。…詳細を見る -
常陸松岡藩(水戸藩支藩)中山家2万5千石:中山信徴 幕末時は水戸藩宗家より独立した松岡藩【幕末維新写真館】
【藩名】 常陸松岡藩 【説明】 江戸時代初期に戸沢氏が常陸松岡に4万石で入封し、約20年間統治した。戸沢氏が転封になると松岡周辺は水戸領となり、水戸藩附家老中山家が居館を築いた。第10代藩主「中山信敬」は水戸藩…詳細を見る -
板鼻藩/酒井家2万石:酒井忠行 本家の姫路移封に伴い支藩も廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 板鼻藩 【説明】 寛永2年(1625年)9月2日に、上野厩橋藩主「酒井忠世」の長男「酒井忠行」が板鼻に2万石の所領を与えられ板鼻藩を立藩した。忠行は部屋住み身分ながら父とともに「徳川秀忠」の側近として…詳細を見る
最近のコメント