興国寺城:北条早雲が城主になり伊豆侵攻の拠点とした興国寺城【お城特集 日本の歴史】

興国寺城/アクセス・地図・場所 北条早雲が城主になり伊豆侵攻の拠点とした興国寺城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
興国寺城

【興国寺城の説明】
興国寺城は静岡県沼津市にあった平山城である。
長享元年(1487年)、今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いの功績によりこの城を与えられたと伝わる。

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その後早雲は伊豆国「堀越公方」の「足利茶々丸」を討って本拠地を韮山城へと移した。一方、興国寺城は今川家・武田家・北条家の争いの場に常に置かれた。天文20年(1551年)、北条氏康は駿河へ侵入し今川義元から興国寺城を一時奪取するも、義元が再び奪い返している。

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永禄11年(1568年)、武田信玄と北条氏康は今川義元亡き後の駿河へ侵攻を開始し、北条氏政・北条氏邦が「葛山城」と共に「興国寺城」を奪取した。元亀2年(1571年)に甲相同盟が成立すると、興国寺城は武田氏に引き渡され天正10年(1582年)まで武田勝頼の支配下におかれた。

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武田氏が滅亡し、駿河が徳川家康の支配下に置かれると「松平清宗」を城主とした。その後、家康は北条氏の遺領である関東一帯へ移封され、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後「天野康景」が1万石で入封し興国寺藩が立藩する。

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康景は領内で発生した問題の裁定に不満を持ち城主の座を投げ出して出奔してしまう。そのため興国寺藩は改易となり、慶長12年(1607年)3月に興国寺城は廃城となった。






【興国寺城・場所・アクセス】
〒410-0309 静岡県沼津市根古屋428

【興国寺城地図】



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