横手城:上杉景勝(関ヶ原の戦い)に与したため領地没収となった小野寺義道の横手城【日本の歴史 お城特集】

横手城:上杉景勝(関ヶ原の戦い)に与したため領地没収となった小野寺義道の横手城【日本の歴史 お城特集】

【城名】
横手城

【城の説明】
横手城は戦国時代「小野寺義道」の城であった。
独立大名としてしのぎを削っていたが関ヶ原の戦いが勃発すると西軍(石田三成)の上杉景勝に与したため、戦い後改易された。

改易後は最上氏の所領となり城代が置かれたが、佐竹氏が常陸国が移封してくると佐竹氏の支配する領地となる。本来ならば一国一城令により廃城となるところを秋田藩祖「佐竹義宣」が徳川幕府に城の重要性を必死に説き廃城を免れることになる。

江戸期を通じて佐竹氏の城代戸村氏が治めてきたが幕末になると新政府軍と旧幕府軍との間で戦が勃発し、秋田藩は新政府軍に就く。これにより仙台藩・庄内藩などからの攻撃を受け、ついには落城した。

現在は戊辰戦争で犠牲になった藩士を追悼するため秋田神社が建立されている。
なお、現在の横手城天守は模擬天守である。

【横手城・場所・アクセス】
〒013-0012 秋田県横手市城山町

【横手城地図】



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