【二本松城(霞ヶ城)とは】
二本松城は、福島県二本松市の白旗が峰に築かれた城である。霞ヶ城の別名で知られ、山麓の居館と山上の詰城からなる。日本100名城第11番、国指定史跡。
戦国期は畠山氏(二本松氏)の居城で、伊達政宗との抗争の末に落城した。江戸期には丹羽氏十万石の城として近世城郭に整えられ、そして慶応四年(1868)、十二歳から十七歳の少年たちが出陣した城として記憶されている。

「霞ヶ城址」の石碑。奥に復元された箕輪門と三階櫓が見える(福島県二本松市郭内)
【畠山氏の悲劇 — 粟ノ巣の変と二本松落城】
二本松城を築いたのは、奥州探題として下向した畠山満泰と伝えられる。室町幕府の名門・畠山氏の一族でありながら、戦国期の二本松畠山氏は伊達・蘆名・田村といった大勢力に囲まれた小さな国衆にすぎなかった。
天正十三年(1585)十月、当主の二本松義継は伊達政宗に降伏を申し入れる。その和議の席で、義継は政宗の父・伊達輝宗を突然拉致し、二本松へ向かおうとした。追った政宗は、父もろとも銃撃を命じる——いわゆる粟ノ巣の変である。輝宗も義継も、ここで死んだ。
父を殺された政宗は二本松城を攻めるが、蘆名・佐竹の連合軍が二本松を救援に動く。翌天正十四年正月の人取橋の戦いを経て、七月に二本松城は開城した。畠山氏はここで滅びる。のちに政宗の正室・愛姫を生んだ三春城の田村氏が伊達方だったのと対照的に、二本松は最後まで抗って消えた。

本丸下の高石垣と復元された土塀。秋には石垣の下に彼岸花が咲く
【丹羽氏十万石と近世城郭の完成】
伊達、蒲生、上杉、加藤と城主が替わったのち、寛永二十年(1643)に丹羽光重が十万七百石で入る。丹羽長秀の孫にあたる。以後、丹羽氏が明治まで二百二十余年この城を治めた。
光重は城を大改修し、山麓に御殿と箕輪門を、山上に本丸の高石垣を築いて、近世城郭としての姿を整えた。棚倉城を築いた丹羽長重が光重の父であり、安土城の普請総奉行だった丹羽長秀から数えて三代——丹羽の家は、三代にわたって城を築き続けた家系だったことになる。

本丸へ向かう坂道に残る石垣と土塁
【二本松少年隊 — 千人溜から出陣した子どもたち】
そして慶応四年(1868)七月。城内に立つ案内板が、その日のことを簡潔に、しかし重く記している。

「二本松少年隊」の案内板(二本松市)。出陣の経緯と群像の意味が記されている
戊辰戦争の最中、二本松藩は大半の兵力が西軍を迎え撃つべく出陣し、城内・城下は空虚同然であった。守る者がいない。その緊迫した状況の下で、少年たちが出陣を願い出た。
案内板はこう続ける。少年たちの出陣嘆願の熱意に、藩主は止むなく出陣許可を与え、十二歳から十七歳までの少年六十二名が出陣。
七月二十九日、城内への要衝・大壇口では、隊長木村銃太郎率いる少年二十五名が果敢に戦った。だが正午ごろ、二本松城は炎上し落城した。

二本松少年隊群像。大砲を引く隊士たちと、それを指揮する隊長の姿
【群像に、母がいる】
この群像を見るとき、見落としてはならない像がある。案内板が明記している。
「この二本松少年隊群像は、大義のため戦う隊長及び少年隊士と、我が子の出陣服に藩主丹羽氏の家紋・直違紋(すじかいもん)の肩印を万感迫る思いで縫い付ける母の像を表わしたものである。」
戦う少年たちの群像の傍らに、出陣服に家紋の肩印を縫い付ける母が座っている。息子を戦場へ送り出すために、その服に印を縫っている。「万感迫る思いで」という言葉を、行政の案内板が使っている。
そしてもう一つ。「なお、この地は『千人溜(せんにんだめ)』といい、藩兵が集合する場所であり、少年隊士もここからそれぞれの守備地に出陣した。」
つまりこの群像は、彼らが実際に立った場所に建っている。記念碑がゆかりの地に置かれることは珍しくないが、ここは出発点そのものである。少年たちは、この地面から大壇口へ向かった。
同じ戊辰の戦いでも、会津若松城は一か月の籠城に耐え、棚倉城は一日で落ちた。二本松は、大人の兵が出払った城を子どもが守り、半日で落ちている。城の強さでも弱さでもなく、そこに誰が残っていたかが結末を決めた。
【現在の霞ヶ城公園】
城跡は霞ヶ城公園として整備され、昭和五十七年(1982)に箕輪門と附櫓・多聞櫓が、平成五年(1993)に本丸の石垣が復元された。

城跡に残る水堀。春は桜、秋は菊人形の会場となる
日本最大級の規模を誇る「二本松の菊人形」の会場としても知られ、秋には園内が菊で埋まる。本丸まで登れば、安達太良山と阿武隈川の流れる二本松の町が一望できる。
【二本松城の現地写真】





【二本松城・場所・アクセス】
〒964-0904 福島県二本松市郭内三丁目
JR東北本線「二本松駅」から徒歩約20分。東北自動車道 二本松インターから車で約10分。霞ヶ城公園として開放され、駐車場がある。日本100名城 第11番。
見どころは復元された箕輪門と少年隊群像、本丸の高石垣、そして「千人溜」の一帯。本丸までは徒歩二十分ほどの登りになる。
【二本松城ゆかりの城】
