織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔【日本の歴史ブログ】

織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔【日本の歴史ブログ】

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織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔

『冷酷残忍にして厚情寛大な二面性を持つ信長』
残忍で冷酷な暴君として描かれることが多い信長は、自ら「第六天魔王」と書状にしたためるなど、ダークなイメージがとても強い。だが、一方で情に厚く、寛大な側面も持っていた。その例をいくつか挙げてみたいと思います。

織田信長:相反する二つの顔を持つ織田信長の素顔【日本の歴史ブログ】

◎身分を問わず家臣達を重用
羽柴(豊臣)秀吉や、甲賀の里出身といわれる滝川一益など、信長は出自を問わず、能力ありきで多くの人々を重用した。

◎好奇心と柔軟な頭の持ち主
イエズス会の宣教師たちに地球儀を見せられた信長。他の家臣達は首をかしげたが、信長は「理にかなっている」と納得したという。また、キリスト教を擁護するなど、柔軟な頭を持っていた。

◎秀吉の妻・ねねを気遣う手紙
秀吉の妻・ねねは、秀吉が側室を持ち自分を顧みないと嘆いていた。すると信長はねねに手紙を送り、「ねねほどの女性を秀吉は二度と見つけることはできない」と書き、やきもちをやかず、堂々と振る舞いなさいと助言した。

『信長の二面性は柔軟な思考と合理性のゆえ』

信長は西洋の文化をいち早く理解するなど柔軟な思考の持ち主だった。また、非常に合理的な行動をとる人物でもあり、優秀なものであれば、敵対していた人物の息子でも登用している。

重臣であった佐久間信盛、林秀貞などは、その失態に対して処刑ではなく追放処分としていたり、秀吉も何度も失敗しているが、信長はその度にチャンスを与えている。

冷酷な処罰を課す一方で、家臣に情をかけることも忘れなかった。この信長の合理的思考や柔軟な考え方は、現代の世にも通ずるものがあるのではないでしょうか。

※信長は家臣の羽柴秀吉の妻ねねに手紙を書いている(ねねが手紙を受け取った長浜城)
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【織田信長像(岐阜城)・場所・アクセス】
〒500-0000 岐阜県岐阜市18






【岐阜城地図】





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