■ 日本の歴史ブログ
大槻玄沢:杉田玄白・前野良沢の弟子にして一関藩の蘭学者 大槻玄沢
大槻玄沢三賢人像
大槻玄沢は一関藩の蘭学者です。
江戸時代の代表的西洋学者「杉田玄白」「前野良沢」から一文字ずつもらって名前をつけたと言われています。
※一関城下の大槻玄沢住居跡

名前が師匠二人からできている
大槻玄沢は、一関藩の医者の家に生まれ、江戸に出て『解体新書』の翻訳に関わった二人に学びました。杉田玄白と前野良沢です。「玄沢」という名は、玄白の「玄」と良沢の「沢」を一字ずつもらったものと伝わります。名前そのものが、日本の蘭学がどこから来たのかを示しているわけです。
長崎で学び、江戸で塾を開いた
玄沢はオランダ通詞に学ぶため長崎へ遊学し、江戸に戻ると芝蘭堂(しらんどう)という塾を開きました。ここから稲村三伯や宇田川玄随といった、次の世代の蘭学者が育ちます。玄沢が書いた『蘭学階梯』は、オランダ語と蘭学の入門書として広く読まれました。学問を個人の才から、教えられる形に変えた人です。
『解体新書』を訳し直す
玄沢の仕事でとくに大きいのが、師の訳した『解体新書』を全面的に見直した『重訂解体新書』です。急いで訳したために残っていた誤りや不足を、長い年月をかけて改めました。師の仕事を否定するのではなく、精度を上げて次へ渡す。蘭学が学問として続いていくうえで欠かせない作業でした。芝蘭堂では、太陽暦の正月を祝う「オランダ正月」の会も開かれています。
子と孫へ続いた学問の家
玄沢の子・大槻磐渓は儒学者・洋学者として幕末に活躍し、孫の大槻文彦は日本で最初の近代的な国語辞典『言海』を編みました。蘭学から国語学へ、一族三代で学問が受け継がれています。一関の城下町には、この三人を顕彰する三賢人の像が立っています。城については一関城で書いています。
【一関城・場所・アクセス】
〒021-0867 岩手県一関市駅前67
【一関城地図】

