■ 日本の歴史ブログ
東京の住宅街にある城跡とは?
世田谷城は吉良氏(吉良治家)が世田谷郷を与えられた時に館として整備された城です。
その後代々吉良家が治める城として栄えたが戦国時代に入り、吉良氏朝が「北条氏政」に味方をしたため豊臣軍に接取されました。

徳川家康が江戸に城を構えると世田谷城は廃城となり石垣や木材は江戸城築城に用いられました。
そのまま城跡として残してあったが近年、世田谷の住宅街に「世田谷城跡公園」として整備され残されています。
吉良氏は戦国時代、全国に以下の3氏があったとされています。
・三河吉良氏。
・武蔵吉良氏。
・土佐吉良氏。
なお、江戸中期忠臣蔵で有名な「吉良上野介義央」は三河吉良氏の出であり、武蔵吉良家とは無関係です。
東京にも城跡はたくさんある
東京と聞くと城は江戸城だけのように思えますが、区部の住宅街のなかにも中世の城跡がいくつも残っています。台地と川が入り組んだ地形なので、台地の先端を削って堀で区切れば、それだけで城になったからです。地形を見る目があると、坂の多い町の景色が変わって見えてきます。読み方は城の基本用語にまとめました。
世田谷城 ─ 吉良氏の御所
いちばん分かりやすいのが世田谷城です。足利一門の吉良氏が二百数十年治め、「世田谷御所」とも呼ばれました。豪徳寺の境内が本丸のあたりで、南側の世田谷城址公園には土塁と空堀が残ります。小田原征伐で落ち、石材は江戸城の普請に運ばれたと伝わります。
石神井城・練馬城 ─ 豊島氏の城
練馬区には石神井城があります。豊島氏の本拠で、太田道灌に攻められて落ちました。三宝寺池のほとりに土塁と堀が残り、住宅地のなかで中世の形をよく留めています。近くの練馬城は、長く遊園地の敷地になっていたことで知られる城跡です。
赤塚城・葛西城 ─ 北へ、東へ
板橋区の赤塚城は千葉氏の一族の城で、いまは城址公園と梅林になっています。葛飾区の葛西城は、環状七号線の下から遺構が見つかった城です。道路や公園になってもなお、発掘で姿が分かることがあります。
多摩には山の城が残る
区部を出ると、本格的な山城が残ります。北条氏照が築いた滝山城は土の城の造りを学ぶのに最適な城として知られ、八王子城は小田原征伐で一日にして落ちた城です。都心の平地の城と多摩の山城を続けて歩くと、同じ「東京の城」でも役割がまったく違ったことが分かります。江戸の城そのものは江戸城で書いています。
【世田谷城地図】

