戦国武将の人情(武田信玄 編)

戦国武将の人情(武田信玄 編)

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戦国武将の人情(武田信玄 編)【日本の歴史ブログ】

武田信玄には人の使い方についての温かい話が残っています。岩間という部下は臆病もので、合戦の度に泣きわめいて、「俺は死にたくない!戦には行きたくない!」というのでした。

まわりの者はあきれて「こんなやつはどうしようもありません。殺して血祭りにあげましょう」と信玄にいった。すると信玄は「いやいや臆病者にも使い道はある」と告げた。

そして、この男を留守番に残し「留守に残った者たちをよく監視するように!」と命じた。

信玄たちが戦さに出かけて帰ってみると、館の様子が変わっていました。柱や廊下がピカピカに磨きたてられているのだ。そればかりではありません。今までだらしがなかった留守番の者たちが一斉にピシッとしていました。理由を聞いてみると、「岩間様の監督があまりにも厳しいからです」といいます。

信玄は笑って部下たちにいった。「どうだ、臆病者にも使い道があるだろう。人間には必ずいいところが一つくらいあるのだから、決して見限ってはいけない」と言ったといいます。この逸話は現代にも通ずるものがあるのではないでしょうか。

※写真は山梨県甲府駅前に立つ武田信玄像です。

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臆病者を、役に立つ場所へ置く

この話の眼目は、信玄が臆病な家臣を罰しなかったことではありません。「戦えない人間にも向く仕事がある」と見抜き、留守居の監督という場所へ置いたところにあります。怖がりだからこそ、隙や乱れに気づく。同じ性質が、場所を変えると長所になります。

人を捨てない、という計算

戦国の大名にとって、家臣は替えのきかない資産でした。国が小さいほど、人を切るより使い直すほうが得になります。信玄の人の使い方は、温情というより経営の判断に近いものでした。武田氏の本拠躑躅ヶ崎館には、家臣たちの屋敷が周りを固める形で並んでいます。主従が近い距離で暮らす体制が、こうした細かな配置を可能にしたわけです。

逸話は、どこまで本当か

この種の話の多くは、江戸時代にまとめられた『甲陽軍鑑』などに載るものです。事実そのままというより、武田家の家風を伝えるために語り継がれた話と考えたほうがよいでしょう。ただ、そうした逸話が武田家にばかり多く残っていること自体が、後世の人がこの家に何を見ていたかを示しています。

信玄を訪ねるなら

館の跡は武田神社になっており、背後の山には詰城の要害山城があります。上杉謙信と戦った川中島の戦いの記事もあわせてどうぞ。

【城地図】

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