赤穂城:赤穂浪士による吉良邸討ち入りで有名な浅野内匠頭(浅野長矩)の居城 赤穂城【お城特集 日本の歴史】


【城名】
赤穂城

【赤穂城の説明】
赤穂城は代々姫路藩池田家の支藩としてその藩庁があった。正保2年(1645年)に赤穂藩主「池田輝興」の時に藩主乱心により改易とされてしまう。江戸時代を通して藩主の乱心や発狂によるお家断絶・改易という処分が相次いだ。その後、池田家の跡に入封してきたのが「浅野家」である。赤穂浅野家は広島藩浅野家を本家とする分家である。

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※赤穂城大手門
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ちなみに石高は5万3千石とされている。元禄14年、赤穂藩3代当主「浅野長矩」が江戸城松の廊下にて「吉良上野介」への刃傷事件を起こしたことは有名である。これにより浅野家は改易となり、のちに主君の仇を討つべく赤穂藩士47名による「吉良邸討ち入り」が決行される。

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吉良上野介は赤穂浪士により討ち取られ、主君「浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)」の墓前(泉岳寺)にその首を晒された。浅野家改易後の赤穂藩には永井家・森家と続き、森家の時代に明治維新を迎えている。赤穂城の改修は初代浅野家の当主「長直」の時に行われ、天守台は築かれたが幕府からの許可が降りず天守は造られなかった。

現在は本丸大手門や大手隅櫓が再建され、本丸跡には本丸公園が整備されている。なお、赤穂城は日本100名城60番に選定されている。

※浅野家家老大石内蔵助邸跡
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【赤穂城・場所・アクセス】
兵庫県赤穂市上仮屋旧城内

【赤穂城地図】



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