川成島藩/本郷家1万石:本郷泰固 幕末に若年寄職を罷免と同時に改易された川成島藩【幕末維新写真館】

川成島藩/場所・アクセス・地図 本郷家1万石:本郷泰固 幕末に若年寄職を罷免と同時に改易された川成島藩【幕末維新写真館】
※この史跡はまだ評価がありません※

【藩名】
川成島藩

【説明】
川成島は代々、大身旗本である本郷氏が支配していた。本郷氏は若狭大飯郡の出身で室町幕府の奉公衆であった。戦国時代には織田信長や徳川家康に仕えていたといわれている。江戸時代末期の安政4年(1857年)、「本郷泰固」は側衆から若年寄に昇進したため、所領を7000石から1万石に加増されて川成島藩を立藩した。しかし、安政5年(1858年)に職務怠慢を理由に若年寄職を罷免された。翌年10月27日には改易され、川成島藩は廃藩となった。

【場所・アクセス・地図】






※※こちらの史跡のあなたの評価は?※※

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

口コミ情報 ~この史跡についてあなたが知っている情報をどんどんコメントして下さい~

    • 本郷泰秀
    • 2018年 10月 26日

    泰固に下された隠居謹慎命令の理由である職務怠慢とは建前で、一橋派の本郷に対するこじつけ処分(安政の大獄)です。職務怠慢とは聞こえが悪いので。

      • Jphistory
      • 2018年 10月 26日

      コメントを頂きありがとうございます。
      ご子孫の方でしょうか。
      私の勉強不足で大変申し訳ございません。

      ご迷惑でなければ追記させて頂きますのでご検討の程宜しくお願い致します。

        • 本郷泰秀
        • 2018年 10月 27日

        失礼しました。徳川旗本の本郷とは関ヶ原以前に枝分かれした京都の本郷の末の者です。ですので同族ですが子孫ではありません。ですが若狭本郷の郷土史研究家の方が執筆された「本郷氏八百年史」という本を本郷会から頂きまして、それによりますと、当時井伊直弼は老中阿部正弘の失脚を画策しており、奏者番の本郷泰固はその事を察知し、井伊直弼の密書を同じ一橋派の阿部に間違えたふりをして他の文書に紛れこませて渡しました。阿部はその内容にたいそう驚いたそうですが、事を荒立てたくなかったのか、特に手を打たなかったようで、井伊に憎まれた本郷は隠居謹慎となります。その後、息子泰清の代に慶喜が将軍となりお咎めは許されたそうです。本郷文書という古文書を元に執筆されているので信憑性は高いと思います。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


ご挨拶

本ホームページは個人が趣味の範囲で公開しております。説明文や文言等が正確ではない部分もあるかとは思いますがご了承下さい。
ページ上部へ戻る