松尾藩(柴山藩)/太田家5万3350千石:太田資美 西洋稜堡式要塞を築城中に廃藩置県となった松尾藩【幕末維新写真館】

松尾藩(柴山藩)/場所・アクセス・地図 太田家5万3350千石:太田資美 西洋稜堡式要塞を築城中に廃藩置県となった松尾藩【幕末維新写真館】
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【藩名】
松尾藩(柴山藩)

【説明】
明治元年(1868年)5月、駿河・遠江へ徳川宗家「徳川家達」が70万石にて入封したため、遠江国掛川藩主「太田資美」は上総国武射山辺郡内に替地を与えられ移封となった。資美は同年7月に武射郡柴山村の観音教寺に仮藩庁を設置し、「柴山藩」を立藩した。

翌明治2年(1869年)6月、版籍奉還をうけて柴山藩知事に任命されると、それまで間借りしていた寺の仮藩庁から、新たに新藩庁の地として武射郡大堤・田越・猿尾・八田の山林原野を開拓して町割りと縄張りを行い「松尾城」の築城を開始した。

この城は西洋風の稜堡式要塞(多角形要塞)の形状を取り入れた城として築城された。これにちなんで開拓地も松尾と命名した。翌明治3年(1870年)11月に藩庁と知事邸、および城下町が一応は完成し、明治4年(1871年)1月に正式に「松尾藩」を名乗った。

明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」で、「松尾藩」は廃藩となり松尾県となる。この頃、松尾城は未完成のままであった。その後松尾城に県庁を置くが、同年11月木更津県に合併された。

【場所・アクセス・地図】






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