仏殿城(川之江城):長宗我部元親に攻略された四国の要所で河野氏の居城 仏殿城【お城特集 日本の歴史】

仏殿城(川之江城)/アクセス・場所・地図 長宗我部元親に攻略された四国の要所で河野氏の居城 仏殿城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
仏殿城(川之江城)

【仏殿城(川之江城)の説明】
仏殿城は愛媛県四国中央市川之江町の鷲尾山にあった平山城で別名を「川之江城」とも呼ばれている。建武4年(1337年)に伊予を統治する「河野通政」に属していた「土肥義昌」が仏殿城を築いたとされている。

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その後、戦国時代には「妻鳥友春」が城主となっていたが、土佐の「長宗我部元親」への内通が露見し、河野氏配下の「河上安勝」に攻撃され落城した。

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天正10年(1582年)、四国統一を目指す「長宗我部元親」は伊予国へ侵攻を開始し、川上安勝が守る「仏殿城」へ攻め寄せ安勝は自刃し城は落城した。ほぼ四国全域を制した長宗我部元親だったが、天正13年(1585年)豊臣秀吉が四国征伐の軍を起こし豊臣方の「小早川隆景」により仏殿城は攻略され落城した。

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豊臣秀吉の四国平定後は、「小早川隆景」「福島正則」「池田輝政」と城主が変わったが「加藤嘉明」が伊予へ入封すると松前城を拠点としたため、仏殿城(川之江城)は廃城になった。

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寛永13年(1636年)、一柳直家がに川之江藩を立藩し、城を再築しようとしたが寛永19年(1642年)に死去した際に領地は没収され天領(幕府領)になったため再築されなかった。

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もともと城の遺構は本丸付近の石垣がわずかに残る程度だっが、仏殿城(川之江城)跡に模擬天守や櫓門、隅櫓、控塀などが構築された。しかし、これらは史実に基づいた再建とはなっていない。



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【仏殿城(川之江城)・場所・アクセス】
〒799-0101 愛媛県四国中央市川之江町1087-4

【仏殿城(川之江城)地図】



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