栃尾城:上杉謙信が幼少期を過ごし跡目相続の初陣の場となった栃尾城

栃尾城/アクセス・場所・地図 上杉謙信が幼少期を過ごし跡目相続の初陣の場となった栃尾城

【城名】
栃尾城

【栃尾城の説明】
栃尾城は新潟県長岡市栃尾町にあった城です。
別名「舞鶴城」「大野城」とも呼ばれており、標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城です。

栃尾城/アクセス・場所・地図 上杉謙信が幼少期を過ごし跡目相続の初陣の場となった栃尾城【お城特集 日本の歴史】

築城時期は不明だが戦国時代初期には上杉氏に属していた本庄氏が治める城であり、上杉謙信が幼少期から青年期までを過ごした城としても知られています。上杉謙信が兄の「長尾晴景」と跡目相続を争った際は、栃尾城から出陣しました。

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天正8年(1580年)、謙信の死後の「御館の乱」で城主「本庄秀綱」は上杉景虎方に属し、三条城の「神余親綱」らと共に上杉景勝に抵抗するが、同年4月22日に栃尾城は落城し秀綱は会津へと退去しました。

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豊臣秀吉が天下を統一すると、上杉景勝は会津へ加増転封となり、代わって越後に入封した「堀秀治」の家臣「神子田政友」が1万石で栃尾城へ入城します。しかし、慶長15年(1610年)に堀氏が改易となり栃尾城も廃城となりました。

栃尾城/アクセス・場所・地図 上杉謙信が幼少期を過ごし跡目相続の初陣の場となった栃尾城【お城特集 日本の歴史】

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目次

謙信が旗を揚げた城

栃尾城は、上杉謙信が若いころを過ごした城として知られます。長尾為景の子として生まれた景虎(のちの謙信)は、兄の晴景のもとで栃尾に置かれました。越後の東にあたるこの地は、府中から見れば辺境ですが、会津や信濃へ抜ける街道が交わる要所でもあります。父の死後、越後の国衆が景虎の若さをみて兵を挙げたとき、景虎はこの城から打って出て、これを破りました。世にいう栃尾城の戦いで、謙信の初陣と語られてきた合戦です。のちの本拠春日山城に移るまで、景虎はこの城を足場に越後をまとめていきました。

本庄氏と、御館の乱での落城

城を預かったのは本庄氏です。若い景虎を支えた本庄実乃は、のちに謙信の重臣として名を残しました。ところが謙信の死後、後継をめぐって上杉景勝と上杉景虎が争った御館の乱で、城主の本庄秀綱は景虎方につきます。景勝方に攻められた栃尾城は天正八年(一五八〇)に落ち、秀綱は会津へ落ち延びました。城はその後も使われましたが、堀氏の時代に廃されています。同じ越後の城では与板城も直江兼続ゆかりの城として知られます。

馬蹄形に曲輪を並べた堅城

城は標高二二八メートルの鶴城山に築かれ、山頂を囲むように曲輪が馬蹄形に並びます。尾根を断ち切る堀切がいくつも残り、斜面には竪堀、細く削った土橋、部分的な石積みも見られます。越後の山城のなかでも遺構の残りがよく、主要部はほぼ完全な形で追えます。こうした言葉の意味は城の基本用語にまとめました。

現地はいま

登り口は栃尾の市街地側からで、主郭までは徒歩でおよそ四十分です。山頂からは栃尾盆地が一望でき、若き日の謙信が見ていたであろう眺めが広がります。ふもとの秋葉公園には謙信ゆかりの史跡が点在し、あわせて歩くと城と町の関係がつかめます。

【栃尾城・場所・アクセス】
〒940-0236 新潟県長岡市栃尾町

【栃尾城地図】

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