【城名】
桑原城
【桑原城の説明】
桑原城は長野県諏訪市四賀桑原にあった中世から戦国時代にかけての城です。
築城時期は不明だが諏訪総領家「諏訪氏」の本城「上原城」の支城としての役割を果たす城であった。
※桑原城本丸跡

天文11年(1542年)、武田晴信(武田信玄)は諏訪に攻め入り諏訪頼重の本拠地「上原城」を包囲しました。頼重はこの攻撃を支えきれないと判断し、支城の「桑原城」へと退去しました。

その後、桑原城にも攻撃が向けられると頼重は武田家へ降伏し甲斐の国へ連行されました。その後、東光寺にて自刃に追い込まれ諏訪家は事実上滅亡します。一方、桑原城に関しては諏訪家の滅亡と共に廃城になったと伝えられています。

なお、諏訪頼重の息女を側室とした信玄は側室との間に生まれた三男「勝頼」に諏訪家を継がせる。一方、今川家の娘を正妻にしていた嫡男の義信が今川攻めに関して、信玄と意見が合わず自刃すると武田家は勝頼の嫡男「信勝」が跡を継ぎ勝頼はその後見人となります。
諏訪氏が最後に籠もった城
桑原城は、諏訪湖を見下ろす標高九八一メートルの山に築かれた城です。ふもとからの高さはおよそ百九十メートルで、諏訪氏の本城上原城の支城にあたります。この城の名が歴史に残るのは、天文十一年(一五四二)の武田晴信の諏訪侵攻のときです。
晴信は、諏訪頼重の妹婿という立場でありながら、高遠の高遠頼継と手を結んで諏訪へ攻め込みました。上原城を支えきれなかった頼重はこの桑原城へ移って抵抗しますが、家臣が次々に離れていき、まもなく降伏します。頼重は弟とともに甲府へ送られ、東光寺で自害させられました。大名としての諏訪氏はここで終わります。
妹婿に攻められた、という事情
頼重の妻は、晴信の妹です。縁組みで結ばれた相手に攻められたことになります。さらにこのあと、晴信は頼重の娘(諏訪御料人)を側室に迎え、生まれた子が武田勝頼です。勝頼は諏訪の名跡を継いで高遠城主となり、のちに武田家を継ぎました。諏訪を滅ぼした家が、諏訪の血を引く当主を戴くことになります。武田氏の本拠は躑躅ヶ崎館でした。
尾根に残る土の守り
城は山頂の主郭を中心に、尾根に沿って副郭や東西の曲輪を並べた造りです。土塁と空堀がいまも残り、石垣はほとんど使われていません。信濃の土の城の典型で、削った斜面と堀切だけで守っていたことが分かります。こうした遺構の見方は城の基本用語にまとめました。
現地はいま
登り口は諏訪市四賀の桑原集落側からで、山頂までは徒歩でおよそ三十分です。主郭からは諏訪湖が一望でき、頼重が最後に見た景色が想像できます。上原城とあわせて歩くと、本城と支城の関係がよく分かります。
【桑原城・場所・アクセス】
〒392-0012 長野県諏訪市四賀桑原
【桑原城地図】

