首里城:正殿の一般公開はいつから? グスクの石垣と、二つの国に属した琉球王国

【城名】
首里城

【城の説明】
首里城は現在の沖縄県那覇市にあった琉球王朝の本拠地として栄えた城です。築城の時期さだかではないが、14世紀頃だと考えられています。代々「尚氏」が国王として琉球王朝を治めてきました。尚氏は奄美大島や沖縄諸島などを支配下に組み込み、長い間統治を続けてきたが、慶長14年(1609年)に薩摩藩(島津家)の侵攻を受け、なすすべもなく敗戦し実質的に薩摩藩の支配下に置かれました。

首里城:尚氏が長年統治した琉球王朝 江戸時代初期薩摩藩の侵攻にて開城した首里城【お城特集 日本の歴史】

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その後王家(尚氏)は存続を許され、薩摩藩の属国として徳川幕府にも様々な献上物を上納しています。江戸幕府末期に黒船が来航すると、琉球国では開港を求められ那覇の港を開港しました。その後、明治維新(戊辰戦争)が勃発すると徳川幕府が瓦解し明治政府が誕生します。薩摩藩に帰属していた琉球国もこの時、「琉球藩」として認められます。

首里城:尚氏が長年統治した琉球王朝 江戸時代初期薩摩藩の侵攻にて開城した首里城【お城特集 日本の歴史】

しかし1871年、明治政府は全国に「廃藩置県」を発令し琉球藩もその対象となり、琉球藩は廃止され「沖縄県」が誕生しました。一方首里城は明治時代になると荒廃が進み多くの門や正殿が老朽化していたが、徐々に保全運動の気運が高まり修復作業が施されました。その後、昭和の大戦で多くの建造物を消失した首里城であったが、戦後再建工事が進み多くの門や遺構が再建・復元されました。

首里城:尚氏が長年統治した琉球王朝 江戸時代初期薩摩藩の侵攻にて開城した首里城【お城特集 日本の歴史】

首里城:尚氏が長年統治した琉球王朝 江戸時代初期薩摩藩の侵攻にて開城した首里城【お城特集 日本の歴史】

この時、「正殿」「北殿」「南殿」「番所」「福奉神門」「歓会門」など多くの遺構が再建されました。平成12年には「世界文化遺産」に登録され、日本100名城100番にも選定されています。現在の首里城は、城の一帯が「首里城公園」として整備され一般公開されています。

首里城:尚氏が長年統治した琉球王朝 江戸時代初期薩摩藩の侵攻にて開城した首里城【お城特集 日本の歴史】

目次

琉球王国の王城・首里城

首里城は、1429年に尚巴志が三山(北山・中山・南山)を統一して成立させた琉球王国の王城として、およそ450年にわたり栄えました。朱塗りの正殿を中心に、中国と日本の建築様式が見事に融合し、琉球石灰岩を積み上げた城壁は本土の城とは異なる緩やかな曲線を描きます。城の玄関口に建つ守礼門には「守禮之邦(礼節を重んじる国)」の扁額が掲げられ、守礼門のそばに建つ園比屋武御嶽石門は、今帰仁城などと同じく世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部で、国王が旅立ちの安全を祈った神聖な拝所でした。

1609年には薩摩藩(島津氏)の侵攻を受けて日本と中国の双方に属する立場となり、1879年の琉球処分で王国は幕を閉じます。太平洋戦争末期の沖縄戦(1945年)で首里城は灰燼に帰しましたが、戦後に復元が進められ、平成12年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。ところが令和元年10月の火災で正殿などが再び焼失。下の写真は復元工事中に撮影したもので、クレーンや素屋根(工事用の覆い)が写っています。

首里城の現地写真

ここからは現地で撮影した写真です。城壁や門の呼び名は城の基本用語の記事で図解しています。

「守禮之邦」の扁額を掲げる首里城の守礼門

「守禮之邦(礼節を守る国)」の扁額を掲げる守礼門。二千円札の図柄としても知られる

世界遺産の園比屋武御嶽石門

国王が城外へ出る際に安全を祈願した拝所・園比屋武御嶽石門(世界遺産)

曲線を描く首里城の高石垣

琉球石灰岩を積み上げ、緩やかな曲線を描く高石垣。奥には正殿再建工事のクレーンが見える

首里城の瑞泉門へと続く大きな石段

漏刻門から瑞泉門へと続く石段。城郭内をつづら折りに登っていく

「瑞泉」の扁額を掲げる首里城の瑞泉門

「瑞泉(立派な泉)」の名を掲げる瑞泉門。門の脇には石獅子が構える

首里城に構える石獅子(シーサー)

城内を守るシーサー(石獅子)。沖縄の魔除けとして親しまれる

赤瓦の建物が並ぶ首里城の城郭内

赤瓦の建物と城壁が織りなす首里城の城郭内。中国と日本の建築様式が融合する

首里城:尚氏が長年統治した琉球王朝 江戸時代初期薩摩藩の侵攻にて開城した首里城【お城特集 日本の歴史】

正殿がよみがえる ─ 令和8年11月23日から一般公開

首里城を訪ねるなら、いまがいちばん大きな節目です。令和元年十月の火災で焼け落ちた正殿の復元工事が終わり、令和8年11月23日の正午から一般公開が始まります。

正殿公開にあたって変わること
  • 公開開始は令和8年11月23日の正午から
  • 有料区域の入場料が改定され、大人は四百円から千円へ(高校生七百六十円、小中学生三百七十円、六歳未満は無料)
  • 正殿の内部を見るには事前予約が必要。三十分単位の日時指定で、ウェブから申し込む
  • 正殿の内部を除く有料区域は、これまでどおり予約なしで入れる
  • 年間パスポートも新設される

復元では、瓦も漆も木材も、可能なかぎり当時の技法に近い形で調達されました。前回の復元でつかわれた木材が手に入りにくくなっていたため、材の確保そのものが大きな課題になったといいます。瓦を焼く職人、漆を塗る職人、彫刻を刻む職人が全国から集まり、その作業の一部は工事期間中も見学できるように公開されてきました。焼失から復元までの過程そのものが、首里城の歴史の新しい一章になっています。

混雑は避けられません。公開直後の週末や年末年始に行くなら、正殿内の予約は早めに押さえておくことをおすすめします。予約が取れなくても、城壁と門、御庭(うなー)から見上げる正殿の外観は予約なしで見られます。同じ世界遺産の今帰仁城や中城城とあわせて沖縄のグスクを回る人も増えています。

本土の城と何がちがうのか ─ グスクの石垣

首里城の城壁を見て、まず気づくのは曲線です。本土の城は石垣を直線と直角で組みますが、首里城の城壁はゆるやかに波打ちながら尾根をなぞります。土地の形に逆らわずに積んでいるからです。

材料は琉球石灰岩。加工しやすい石なので、面を合わせて隙間なく組む相方積みという技法が発達しました。石と石のあいだに線が走るだけで、ほとんど目地が見えません。門にはアーチが架けられ、これも本土の城には見られない形です。琉球のグスクの石垣は、本土で高石垣が積まれるようになるより百年以上前から、すでにこの水準に達していました。

同じ世界遺産の今帰仁城へ行くと、首里城とはまた違う荒々しい曲線の城壁が見られます。首里が王城として整えられた石垣だとすれば、今帰仁は山の地形と格闘した石垣です。二つを見比べると、グスクという言葉が指す幅の広さが分かります。

二つの国に属した王国 ─ 薩摩侵攻から琉球処分まで

慶長十四年(1609年)の薩摩侵攻のあとも、琉球王国は滅びませんでした。国王も王府も残され、中国への朝貢も続けられます。表向きは独立した王国、実際には島津氏の支配下という、二重の立場に置かれたのです。

なぜ薩摩は王国を残したのか。中国との貿易を続けさせ、その利益を取るためです。琉球が清に朝貢する国でなくなれば、貿易の窓口そのものが消えてしまいます。朝鮮出兵のあと東アジアの貿易が細っていた時期だけに、この窓口の価値は大きなものでした。

国王の代替わりのたびに、琉球からは江戸へ使節が送られました。江戸上りと呼ばれるこの行列は、異国風の装束と音楽で江戸の人びとを驚かせています。幕府にとっては、異国を従えているという体面を示す行事でもありました。この二重の立場は明治まで続き、琉球処分によって沖縄県となったところで終わります。首里城の建築が中国風と日本風の入り混じったものになっているのは、この歴史がそのまま形になったからです。

駐車場と所要時間

車なら首里杜館(すいむいかん)の地下駐車場が城のすぐ下にあります。普通車は季節によって五十台から百十台ほどで、料金は一回三百二十円。利用時間は朝八時からで、閉まるのは季節により午後七時から九時のあいだです。台数が多くないので、混雑期は周辺の民間駐車場も選択肢に入れてください。

公共交通なら、ゆいレールの首里駅から歩いて十五分ほど。坂道ですが、途中に石畳の道や湧水があり、歩くこと自体が観光になります。那覇バスターミナルからの路線バスも使えます。

有料区域の開場は午前八時半から。閉場の時刻は季節により午後五時半から七時のあいだで変わります。休園日は七月の第一水曜日とその翌日だけです。守礼門や園比屋武御嶽石門のある無料区域は、有料区域より長い時間歩けます。

所要時間は、無料区域と有料区域をひと通り回って一時間半から二時間。正殿の内部をゆっくり見るなら二時間半はみておきたいところです。城だけでなく、金城町の石畳道や玉陵(たまうどぅん)まで足をのばすなら半日コースになります。坂と石段が多いので、歩きやすい靴で行ってください。ほかのグスクまで足をのばすなら、琉球のグスクをまとめた記事が参考になります。

見学順 ─ 守礼門から正殿へ、坂を登る順に

首里城は、低いところから高いところへ順に登っていく構造です。順路もそのとおりに歩くのがいちばん分かりやすく、体にも楽です。

入口は守礼門。「守禮之邦」の扁額が掲げられた、首里城でもっとも知られた門です。すぐそばの園比屋武御嶽石門は、国王が出かける前に道中の安全を祈った拝所で、こちらも世界遺産に含まれます。門の前で手を合わせてから進むと、この城が軍事施設であると同時に祈りの場だったことが感じられます。

歓会門をくぐって城内へ。瑞泉門、漏刻門とつづら折りに登っていくと、視界が少しずつ高くなっていきます。漏刻門は水時計を置いた門で、ここで時を計り、太鼓で時刻を知らせていました。門をひとつ越えるごとに、外の世界から王の世界へ近づいていく作りです。

広福門を抜けると、正殿の前の御庭に出ます。赤と白の線が敷かれた広場で、儀式のときは役人がこの線に沿って並びました。正面が正殿、右手が北殿、左手が南殿です。ここが首里城のいちばんの見どころなので、時間を多めに取ってください。

正殿を見たあとは、東のアザナという高台へ回ります。城内で最も高い場所で、那覇の街と海までが見わたせます。帰りは西のアザナから守礼門へ戻ると、登ってきた道を上から確かめられます。時間が余れば、城壁の外を回って琉球石灰岩の積み方を間近に見てください。曲線の城壁の美しさは、外から見上げたときがいちばんよく分かります。アーチ門や虎口といった言葉の意味を先に押さえておくと、見え方がさらに変わります。

【首里城・場所・アクセス】
〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-2

【首里城地図】

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