新井白石:幕政に関与した上総国久留里藩出身の儒学者 新井白石【史跡 日本の歴史】

新井白石:幕政に関与した上総国久留里藩出身の儒学者 新井白石【史跡 日本の歴史】

【史跡名】
新井白石銅像

【説明】
新井白石は江戸時代中期の学者である。白石は上総国久留里藩土屋家で生まれ育ったが、久留里藩主「直樹」の代に「直樹」の奇行により久留里藩は改易されてしまう。

※久留里城
新井白石:幕政に関与した上総国久留里藩出身の儒学者 新井白石【史跡 日本の歴史】

その後、白石は佐倉藩堀田家に仕官するが堀田家は藩主が江戸城内で刺殺されると諸国を転々と移封される。このため堀田家は疲弊し、白石も自ら堀田家を退いている。

その間も白石は常に「儒学」を独学で学び続けた。その後知人の推挙により甲府藩(徳川一門)に仕官することになった白石だったが、時の将軍「徳川綱吉」の継嗣がいなかったため甲府藩主「徳川綱豊(改め家宣)」が将軍の座に就くことになる。

一躍白石は旗本となり、その後は将軍の幕政へ関与することになる。将軍家宣が没すると、その子「徳川家継」が7代将軍となり白石も引き続き幕政へ参加し続けた。しかし、家継が夭折すると次期将軍「徳川吉宗」の代になりついに失脚してしまう。白石が残した建白書や政策資料、献上書は全て焼却・破棄されたと言われている。

新井白石:幕政に関与した上総国久留里藩出身の儒学者 新井白石【史跡 日本の歴史】

【新井白石銅像・場所・アクセス】
〒292-0422 千葉県君津市久留里字内山






【新井白石銅像地図】





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