来島城:能島村上水軍の分家で来島通直・来島通総の島城 来島城【お城特集 日本の歴史】

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【城名】
来島城

【来島城の説明】
来島城は愛媛県今治市波止浜沖の「来島」にあった島城で村上水軍の拠点の一つであった。
築城時期は不明だが15世紀中頃に「村上義顕」の三男「吉房」が来島に分家した際に築いたと伝わっている。

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戦国時代に至るまで来島村上水軍の居城となり、この頃から来島氏を称することになる。村上水軍本家の能島村上氏とともに毛利元就・輝元に従っていたが、天正10年(1582年)来島通総は河野氏の支配下から離れて織田信長に属した。

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このため、毛利氏および河野氏より攻撃を受け、来島通総は備中の「羽柴秀吉」の下に敗走した。天正12年(1584年)、本能寺の変後に羽柴秀吉が天下人に定まると通総は本領の来島へ帰還することが出来た。

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その後、秀吉の四国征伐では先鋒として伊予を攻め秀吉から風早郡1万4千石を与えられ鹿島城を居城とした。慶長2年(1597年)、来島通総は「慶長の役」で討死し、家督は次男の長親が継いだ。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは「来島長親」が西軍に属したためは所領を没収された。

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のちに来島氏は豊後国玖珠郡森で大名に復帰したが来島に戻ることは無く、来島城は廃城となった。来島城は島全体が水軍の城砦化とされた城で本丸、二ノ丸、三ノ丸や出丸などが備わっていた。現在の来島城跡にはあまり遺構は残されていないが水溜り跡や居館跡などの遺構が見られる。

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【来島城・場所・アクセス】
愛媛県今治市波止浜来島

【来島城地図】



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